【労働】大阪地裁令和3年12月13日判決(労働判例1265号47頁)

令和2年法律第14号による改正前の労働者災害補償保険法の下、労働者が複数の使用者の事業場で就労していた場合であっても、休業補償給付の給付基礎日額の算定に当たって、労働基準法上の災害補償責任を負わない使用者から支払われた賃金額を合算することはできない旨判示した事例(確定)


【事案の概要】

(1)原告は、昭和44年○月○日生まれの男性である。原告は、平成25年3月22日、G社に入社してD社に派遣され、D社がT社及びE社から夜間の運営について業務委託を受けたセルフ給油式ガソリンスタンドの夜間監視員として勤務した。原告は、平成26年1月31日、G社を退職し、2月1日、DCC社に契約社員として直接雇用された。
   DCC社は、D社の子会社として平成25年12月12日に設立された、ガソリンスタンドの運営受託業務等を事業内容とする株式会社である。
   T社は、石油製品の販売、保管、輸送等を事業内容とする株式会社である。T社は、ガソリンスタンドの運営業務をD社に委託し、D社は、同業務をDCC社に再委託していた。

(2)原告は、平成26年2月1日から同年3月8日までは毎週月曜日から日曜日まで、同月9日以降はおおむね毎週月曜日から土曜日まで、C1店又はF店で勤務した。
   原告とDCC社間の労働条件通知書兼雇用契約書には、C1店における勤務形態は、B勤務(午後10時から翌午前2時まで、休憩時間0分)とC勤務(午後10時から翌午前7時まで、休憩時間1時間)のいずれかとする旨定められていたが、原告は主にC勤務であった。
   原告は、C1店の勤務がない日はF店で勤務していたところ、F店における所定労働時間は、午後7時45分から翌午前9時まで、休憩時間1時間であった。

(3)原告は、平成26年2月21日以降、C1店において、T社の契約社員としても稼働を開始した。T社の契約社員としての原告の業務は、DCC社におけるそれと同様、給油作業の監視及び許可業務、接客業務及び清掃業務等であったが、上記各業務の他、レンタカーの貸出し及び返却に係る業務等もあった。
   原告は、平成26年2月から同年5月までは毎週日曜日、同年6月1日から同年30日までは毎週金曜日と日曜日に、それぞれ午後7時から午後10時まで勤務した。

(4)原告は、平成26年月下旬頃から、全身倦怠感、意欲の低下、抑うつ状態等のうつ症状や、妄想、幻想、不眠等の症状を呈し、同時期頃に、適応障害(以下「本件疾病」という。)を発症した。
   原告は、平成27年3月12日、本件疾病が業務上の事由によるものであるとして、大阪中央労働基準監督署長(以下「処分行政庁」という。)に対し、休業補償給付の支給を請求したところ、処分行政庁は、同年11月30日付けで、DCC社における労働時間を基に、1か月以上の連続勤務並びに上司とのトラブル(注:詳細については、省略する。)及び恒常的な長時間労働を理由に、本件疾病が業務上の事由によるものであることを認め、DCC社からの賃金額のみを基礎として給付基礎日額9、165円としてこれを支給する旨の処分(以下「原処分」という。)をした。
   原告は、原処分の給付基礎日額を不服として、平成28年2月1日、大阪労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたところ、同審査官は、同年12月1日付けで、給付基礎日額の算定過程に誤りがあったことを理由として原処分を取り消す旨の決定(以下「前決定」という。)をした。
   処分行政庁は、前決定を受けて、平成28年12月16日付けで、DCC社における賃金額のみを基礎として給付基礎日額を再計算し、給付基礎日額を9、610円と改め、休業補償給付を支給する旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。
   原告は、平成30年11月15日、本件訴訟を提起して、処分行政庁の給付基礎日額の算定方法には誤りがあると主張して、本件処分の取消しを求めた。

(5)労働者災害補償保険法の改正
 ア 令和2年法律第14号により改正された労働者災害補償保険法(以下「改正後労災保険法」という。)では、労働者災害補償保険(以下「労災保険」という。)の目的として、事業主が同一人でない二以上の事業に使用される労働者(以下「複数事業労働者」という。)の二以上の事業の業務を要因とする負傷、疾病、障害又は死亡(以下「複数業務要因災害」という。)についても保険給付を行うことが加えられ(1条)、保険給付を行う場合について複数業務要因災害が加えられた(2条の2、7条1項2号)。
 イ 複数事業労働者に関する保険給付に係る給付基礎日額については、業務災害(労働者の業務上の負傷、疾病、障害又は死亡、7条1項1号)、複数業務要因災害(同2号)及び通勤災害(労働者の通勤による負傷、疾病、障害又は死亡、同3号)のいずれの場合においても、複数事業労働者を使用する事業ごとに算定した給付基礎日額に相当する額を合算することとされた(8条3)。
 ウ 改正後労災保険法の上記各規定は、施行日令和2年9月1)以後に発生する負傷、疾病、障害又は死亡に対する保険給付について適用し、上記施行日前に発生した負傷、疾病、障害又は死亡に対する保険給付については、なお従前の例によるとされた(附則1条3号、6)。


【争点】

(1)休業補償給付における給付基礎日額の算定に当たりT社からの賃金額を合算すべきか
(2)休業補償給付における給付基礎日額の算定に当たり基礎とすべきDCC社からの賃金額
   以下、主に上記(1)についての裁判所の判断の概要を示す。


【裁判所の判断】

(1)争点1(休業補償給付における給付基礎日額の算定に当たりT社からの賃金額を合算すべきか)について
 ア 判断枠組み
  a)令和2年法律第14号による改正前の労働者災害補償保険法(以下「改正前労災保険法」という。)に基づく労災保険給付は、労働基準法(以下「労基法」という。)の災害補償責任を前提とするものである。
  b)労基法上の災害補償責任は、使用者の過失の有無を問わず、業務上の負傷、疾病、障害及び死亡等(以下「傷病等」という。)による労働者の損失を使用者が負担することを義務付けるものであるところ(同法75条1項、76条1項、77条、79条、80条)、これは、使用者が労働者をその支配下に置き、使用従属関係の下で業務に従事させる過程において、当該業務に内在する危険が現実化して労働者に傷病等が発生した場合に、危険責任の法理に基づき、当該使用者に無過失責任を課し、平均賃金を基礎として定率的に定める金額の補償義務を負わせたものである。
   労基法上の災害補償責任が危険責任の法理に立脚するものである以上、労働者が複数の使用者の事業場で就労していた場合における同法上の災害補償責任の基礎となる業務の危険性は、使用者が実質的に同一であるなどの特段の事情がない限り、当該業務自体の性質によって事業場ごとに判断され、業務に内在する危険が現実化して災害が生じたものと認められる事業場の使用者のみがその責任を負うというべきである。
  c)改正前労災保険法に基づく労災保険制度は、個々の使用者の災害補償責任を前提として、その履行を十全にするために創設された政府管掌の公的保険制度であるということができる(同法2条、3条)。
  d)改正前労災保険法の下において、労働者が複数の使用者の事業場で就労していた場合であっても、休業補償給付の給付基礎日額の算定に当たって、労基法上の災害補償責任を負うとはいえない使用者から支払われた賃金額を合算することはできないというべきである。
  e)本件において原告に対して支給されるべき休業補償給付の給付基礎日額を算定に当たっては、本件疾病の発症について、DCC社とT社のいずれの業務に内在する危険が現実化したものといえるかを検討すべきことになる。
 イ 検討
  a)原告については、DCC社における業務に関し、以下の事実が認められる。
  ・DCC社に雇用された平成26年2月1日から同年3月8日までの36日間にわたってDCC社の業務に連続して従事しており、この間の1日当たりの労働時間は、同年3月2日に4時間であったほかは、1日8時間以上、週に1日は1日12時間以上であったこと
  ・その後も恒常的と長時間労働が解消されることはなく、発症前3か月間に1か月当たりおおむね100時間を超える時間外労働があったこと
  ・この間に、原告の言動について上司であるB(DCC社の直属の上司)及びJ(DCC社のブロック長)から数度にわたり注意・指導が行われたこと
  ・同年4月には、兼業やシフト変更の調整に関するトラブルが周囲からも客観的に認識される状態となったこと
  ・原告の言動について他の従業員から苦情の申立てがあったことを受けて行われた、同年6月27日の約5時間30分に及ぶB及びJとの面談によって、上司との対立が決定的になったこと
  b)これに対し、原告がT社における業務に従事した時間は、同年2月から同年5月まではおおむね毎週日曜日の約3時間のみであり、発症直前期の同年6月においても上記の業務量に毎週金曜日の約3時間が加算される程度にすぎず、その総労働時間数は僅少なものであった。
   また、原告がT社において従事していた業務の内容は、同種の業務に比してより強い精神的緊張を強いるものであったとはいい難く、原告がT社の業務に従事する過程において、同社の上司又は同僚との間で強い精神的負荷につながるようなトラブルを抱えていたと認めるに足りる証拠もない。
  c)以上によれば、本件疾病の発症は、DCC社の業務に内在する危険が現実化したものであるから、DCC社の業務に起因したものであって、これをT社の業務に内在する危険が現実化したものと評価することは到底困難である。そうすると、本件疾病の発症について労基法上の災害補償責任を負うべき使用者は、DCCであって、T社ではないというべきである。
  d)したがって、本件において原告に対して支給されるべき休業補償給付の給付基礎日額は、DCC社からの賃金額を基に算定すべきであり、上記金額にT社からの賃金額を合算することはできない。
 ウ 改正後労災保険法の制度趣旨等から見た本件における給付基礎日額合算の許容性
  a)改正後労災保険法は、多様な働き方を選択する者やパートタイム労働者として複数就業している労働者が増加している実情を踏まえ、複数事業労働者が安心して働くことのできる環境を整備し、複数事業労働者に対する稼得能力の喪失等に対する填補を十分に行うため、
  ①給付基礎日額の算定に当たり、複数事業労働者に関する保険給付について複数事業労働者を使用する全事業の賃金を合算することとし、
  ②複数事業労働者を使用するそれぞれの事業における業務上の負荷のみでは業務と傷病等の間に因果関係が認められない場合に、複数事業労働者を使用する全事業の業務上の負荷を総合的に評価すること
等を定めたものである。
  b)改正後労災保険法が適用されるのは、令和2年9月1日以降に発生した傷病等に係る事案に限られ、同日より前に発生した傷病等については、改正前労災保険法が適用されるところ、原告が本件疾病を発症したのは、平成26年6月下旬頃であったから、本件について改正後労災保険法の規定が適用されるものでないことは明らかである。
  c)以上によれば、改正後労災保険法に係る改正は、本件事案の結論を左右するものではないというべきである。

(2)争点2(休業補償給付における給付基礎日額の算定に当たり基礎とすべきDCC社からの賃金額)について 略

(3)結論
   以上によれば、原告の請求は理由がない(請求棄却)。


【コメント】

   本裁判例は、改正前労災保険法の下で、労働者が複数の使用者の事業場で就労していた場合であっても、休業補償給付の給付基礎日額の算定に当たって、労基法上の災害補償責任を負わない使用者から支払われた賃金額を合算することはできない旨判示した事例です。
   仮に、本件事案が改正後労災保険法の適用下で生じた場合には、休業補償給付の給付基礎日額の算定に当たって、労基法上の災害補償責任を負わない使用者から支払われた賃金額も合算されることとなります(労働判例1265号掲載の本裁判例の判例評釈・同50頁参照)。ただし、労働者から使用者に対する安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求の可否については、改正後労災保険法に係る改正の趣旨を踏まえつつも、個別の判断がなされるものと考えます。

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