既往症である糖尿病の存在が、治療の内容、期間及び後遺障害の内容及び程度等に一定の影響を与えたことは否定できないとして、損害の公平な分担の見地から民法722条を類推し、各損害につき平均して15%の素因減額をした事例(確定)
【事案の概要】
(1)交通事故(以下「本件事故」という。)の発生
ア 発生日時 平成26年2月28日午後0時10分頃
イ 発生場所 千葉県白井市a橋河川敷沿いの道路幅約3.3mの砂利道に敷鉄板を敷いた通路(以下「本件通路」という。)上(以下「本件事故現場」という。)
ウ 被告車両 被告が所有し被告が運転する自家用貨物ダンプトラック
エ 被害者 原告(昭和23年生、本件事故当時65歳、男性)
オ 事故態様 原告が、本件事故現場で交通誘導員として、後退中の被告車両の誘導を行っていた際に転倒し、被告車両が転倒した原告を轢過した。
(2)本件事故による治療経過等
ア 受傷内容
原告は、本件事故により、出血性ショック、不安定型骨盤骨折、右大腿骨骨折、右下腿骨開放骨折、右下肢デグロービング損傷(注:回転しているタイヤに下肢を巻き込まれたことにより、あるレベル以遠の皮膚が全周性に剥脱された損傷。)、左踵部皮膚欠損創、神経因性膀胱の傷害を負い、平成26年3月20日、右大腿切断術を受けた。
イ 入院状況
原告は、本件事故後、以下の医療機関に、以下のとおり入院した。
a)B大学病院(以下「B病院」という。)
平成26年2月28日から同年11月26日まで入院(272日間)
b)Cリハビリテーション病院(以下「リハビリテーション病院」という。)
平成26年11月26日から平成27年4月20日まで入院(146日間)
ウ 症状固定
原告は、リハビリテーション病院の医師により、骨盤骨折、右大腿骨折、デグロービング損傷、右大腿切断、糖尿病、神経因性膀胱との傷病名につき、平成27年4月20日に症状固定と診断された。
エ 後遺障害等級認定
原告は、自動車損害賠償責任保険の後遺障害等級認定手続において、後遺障害等級併合第1級に該当すると判断された(詳細については、省略する。)。
オ 症状固定後の施設介護等
原告は、平成27年4月20日(症状固定日)から介護老人保健施設D(以下「本件施設」という。)に入所し、現在まで本件施設での介護を受けている。
(3)本件事故前の既往症に関する治療経過等及びこれに関連する本件事故後の経緯
ア 本件事故前の既往症に関する治療経過等
a)平成2年頃 糖尿病の指摘を受ける。
b)平成17年6月17日 糖尿病性網膜症及び左硝子体出血との診断を受けて、F医療センターを受診。その後、医師からは、インスリンでのコントロールを勧められたが、原告においては、仕事があることなどを理由にこれを断っていた。
c)平成19年6月22日 F医療センターを受診し、脳梗塞と診断された。右顔面及び右半身にしびれ及び感覚低下等の症状があったが、原告の希望により、入院はせずに通院治療を受けた。
d)平成20年1月21日 同月19日頃から右足の筋力低下があり、足を引きずって歩行する状態となったために、F医療センターを受診したところ、脳梗塞と診断され、同日から同月31日まで入院した。同病院の診療録には、リハビリを継続することにより筋力の改善が認められたため、上記症状は廃用によるものと考えられる旨の記載がされている。
e)平成21年3月15日 前日からろれつ障害及び左上下肢脱力の症状があったため、F医療センターを受診したところ、脳梗塞の再発と診断され、同日入院した。
原告は、その後も年何度か、同病院への通院を行なってはいるものの、定期的な通院はできない状態であった。
f)平成25年10月12日 原告は、左足が不自由で仕事に就けず、G病院整形外科で膝のM R Iを取ったが原因が不明であり、身体障害者の申請をしたい旨述べて、F医療センターを受診した。同日の診療録には、「2012年(注:平成24年)頃から左足を引きずることが多くなった。よく転ぶと。」、「仕事を探しているが、左足の不自由さもあって就職ができない。」、「四肢に明らかな表在感の低下はみられない。左下肢近部を中心とした筋力低下が目立つ。杖をついて自力歩行可能な状態。身障者申請は難しい。」との記載がされている。
g) F医療センターの診療録上記載されているHbA1c(糖化ヘモグロビンがどのくらいの割合で存在しているかを%で表したものであり、6.5%以上で糖尿病とされる。)の数値は、平成17年10月17日に8.4%、平成19年6月27日に8.4%など、医療記録上確認できる数値はほぼ継続的に8%以上であり、平成25年9月17日の同値は9%であった。
h)原告は平成23年10月14日から平成24年12月11日までの間、H整形外科に通院していた。平成23年10月14日の同病院の診療録には、原告が、左膝が折れることや右手がしびれること、仕事ができないことなどを述べた旨の記載がされている。また、平成24年12月6日の同病院の診療録には、左変形性膝関節症診断されたことが記載されている。
イ 本件事故後の経緯
a)平成26年2月28日(本件事故当日)の原告の血糖値(空腹時血糖値126mg/dl以上又は随時血糖値200mg/dl以上で糖尿病型とされる。)は323mg/dlであり、HbA1cの数値は6.8%であった。その後、ICUに入院中、血糖値は1日4回測定され、インスリン注射も行なっていたが、原告の平均血糖値は200ないし300mg/dl前後で推移していた。
b)平成26年2月28日(本件事故当日)にB病院に入院後、同年3月1日、同月4日、同月13日にも、右下肢につき、洗浄、デブリードマンが施行されたが創閉鎖をすることはできず、右下肢の創部につき汚染が強くなり全身状態が不良となったため、同3月20日に右大腿部切断術が行われた。また、左踵部に骨髄炎を発症して皮膚欠損があるため、同年6月12日に踵骨切除及び皮弁作成術が行われた。
その後、原告の症状が安定したため、廃用症候群に対するリハビリ継続を目的として、同年11月26日にリハビリテーション病院に転院をした。
(4)損害の補填等
ア 原告は、平成30年5月15日、自賠責保険金3,000万円の支払を受けた。
イ 原告は、被告加入の任意保険会社から、213万5,913円の支払を受けた。
ウ 原告は、平成26年2月28日から平成27年5月20日までに、合計2,500万1,322円の労災保険金(療養の給付(診療費)2,330万5,903円を含む。)の給付を受けた。
エ 原告は、平成27年4月から令和2年10月までに、合計2,059万4,908円の介護保険給付金の給付を受けた。
(5)原告は、本件訴えを提起して、被告に対し、民法709条及び自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)3条に基づき、損害額合計1億0,299万3,743円及びこれに対する遅延損害金の支払を求めた。
【争点】
(1)本件事故の態様及び過失割合(争点1)
(2)素因減額の可否(争点2)
(3)原告の損害及びその額(争点3)
以下、主に上記(2)についての裁判所の判断の概要を示す。
【裁判所の判断】
(1)争点1(本件事故の態様及び過失割合)について
原告と被告の過失割合は、原告40%、被告60%と認めるのが相当である(詳細につては、省略する。)
(2)争点2(素因減額の可否)について
ア 原告は、本件事故後、右下肢デグロービング損傷との診断を受け、洗浄、デブリードマン(注:患部の壊死組織をメスで取り除く手術のこと。)が施行されたが創閉塞をすることはできず、右下肢の創部については汚染が強かったことから、平成26年3月20日に右大腿部切断術が行われたことのほか、原告には糖尿病の既往症があったことが認められる。
そして、J病院の糖尿病専門医であるK医師の意見書によれば、
①本件事故前の治療経過のほか、本件事故前における原告の診療録で認められるHb A1c1の数値がほぼ継続的に8%以上である上、本件事故前の平成25年9月17日のHb A1c1の数値が9%であることや、本件事故当日の血糖値が323mg/dlであったことからしても、本件事故当時の原告の血糖コントロールは不良の状態にあったこと、
②糖尿病による高血糖状態では脱水症状に陥りやすく、皮膚が乾燥し容易に損傷を受けやすい状態となっているため、創傷の治癒が遷延するほか、インスリン作用不足により脂肪酸代謝が中心となって、細胞の機能が低下することや、高血糖による組織液によって感染が助長されるなどの要因により、一般的に糖尿病患者は易感染性であること、
③本件事故当時の原告の高血糖に起因して、右下腿創部の感染コントロールが困難となって易感染性の状態を誘発し、かかる影響により右下腿の創傷の治癒が阻害され、右下肢の創部が強く汚染された結果、全身状態が悪くなって、右下肢の切断がされるに至ったこと、
④左踵の骨髄炎の発症についても、原告の高血糖による易感染性の影響を受けている可能性があること
が認められる。
イ 以上によれば、原告の既往症である糖尿病の存在が、原告の治療の内容、期間及び後遺障害の内容及び程度等に一定の影響を与えたことは否定できないものであって、損害の公平な分担の見地から、民法722条を類推し、素因減額をするのが相当というべきである。
ただし、
・右下肢については、本件事故により、右大腿骨骨折、右下腿開放骨折、右下肢デグロービング損傷といった受傷を受けたものであり、その受傷の内容及び程度自体が相当に重篤なものであったこと
・原告の素因が寄与した後遺障害は右大腿切断及び左足関節の機能障害に限られると解されるものであるところ、原告の素因の寄与が認められない他の後遺障害(注:①胸腹部臓器の障害につき、尿失禁及び便失禁、②右下肢の障害につき、右股関節の機能障害、③左下肢の障害につき、左股関節の機能障害、左膝関節の機能障害及び左足趾の機能障害)の程度も相当に重大なものであること
・原告の素因が寄与した後遺障害は右大腿切断及び左足関節の機能障害に限られると解されるものであるところ、原告の素因の寄与が認められない他の後遺障害(注:①胸腹部臓器の障害につき、尿失禁及び便失禁、②右下肢の障害につき、右股関節の機能障害、③左下肢の障害につき、左股関節の機能障害、左膝関節の機能障害及び左足趾の機能障害)の程度も相当に重大なものであること
・糖尿病の既往が原告の症状等に与えた寄与の程度については、必ずしも本件証拠上明らかではないこと
などに鑑みれば、その寄与の程度について、被告が主張するほど(注:被告は、70%程度の素因減額を行うことを主張した。)大きくみることは相当ではなく、素因減額の程度については、各損害につき平均して15%程度とみることが相当である。
なお、後遺障害の内容及び程度に鑑みれば、原告の素因が影響を与えたと考えられる右大腿切断及び左足関節の機能障害が存在しなくても、少なくとも後遺障害等級併合3級に該当し、その労働能力喪失率は100%であると考えられることから、休業損害及び後遺障害逸失利益については、素因減額を行わないことが相当である。
ウ 以上に対し、原告は、素因減額をすることが相当であったとしても、その対象となる後遺障害は、右大腿切断及び左足関節の機能障害に限られるところ、素因減額の対象とならない後遺障害は、後遺障害等級3級相当であることから、自賠責保険により認定されている後遺障害等級1級相当を前提として算定された損害額と後遺障害等級3級相当を前提として算定された損害額との差額の部分に限定して、素因減額をすべきである旨主張する。
しかし、上記イのとおり、休業損害及び後遺障害逸失利益については、素因減額を行わないことが相当であるが、その素因の内容及び残存した後遺障害の内容等に照らせば、治療の内容及び期間のほか、後遺障害の程度や介護の程度等の上記以外の各損害項目については、全体にわたって素因の影響を受けているとみるのが相当である。なお、素因の寄与が認められない他の重大な後遺障害が存することは、素因減額の程度を定めるに当たって考慮を行っている。よって、上記原告の主張は採用できない。
(3)争点3(原告の損害及びその額)について 略
(4)結論
原告の請求は、被告に対し、1,944万3,436円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で理由がある(一部認容)。
【コメント】
本裁判例は、糖尿病を中心とする原告の既往症についての検査結果及び治療経過並びに診療録上の主訴の内容等を詳細に認定した上で、J病院の糖尿病専門医であるK医師の意見書に依拠して、原告の主たる既往症である糖尿病が、後遺障害の一部である右大腿骨切断及び左足関節の機能障害に寄与したことを認めた事例です。
また、本裁判例は、原告の素因が影響を与えたと考えられる右大腿切断及び左足関節の機能障害が存在しなくても、少なくとも後遺障害等級併合3級に該当し、その労働能力喪失率は100%であると考えられることを理由として、休業損害及び後遺障害逸失利益については、素因減額を行わなかった点にも特徴があります。