【労働】大阪高裁令和2年10月1日判決(判例時報2493号49頁)

風邪についての経験則を本件疾病(劇症型心筋炎)の発症に参照することは医学的知見に照らして首肯し得ないとして、長時間労働等の事実と本件疾病の発症との間の因果関係を否認して、亡Aの本件疾病の発症等について業務起因性を認めなかった事例(上告審係属中)


【事案の概要】

(1)有限会社L(以下「本件会社」という。)の従業員であったAが、平成26年6月○日に死亡した(注:死亡に至る経緯については、大阪地裁令和2年2月21日判決の【事案の概要】参照。なお、以下、亡Aの各入院先を「D病院」及び「E病院」という。)。

(2)被控訴人(1審原告)(注:Aの妻)は、亡Aの死亡が本件会社での業務に起因するものであるとして、大阪中央労働基準監督署長(以下「処分行政庁」という。)に対し、療養補償給付、遺族補償年金、葬祭料及び休業補償給付の各支給を申請したところ、処分行政庁は、平成26年12月5日及び同月8日、それぞれ不支給とする各処分を行なった(以下、「本件各処分」という。)。
   被控訴人は、審査請求及び再審査請求を経た後の平成29年2月21日、控訴人(1審被告)(注:国)に対し、本件各処分の取消しを求めて、本訴訟を提起した。

(3)原判決(大阪地裁令和元年5月15日判決・労働判例1203号5頁)は、Aの長時間労働と劇症型心筋炎(以下「本件疾病」という。)発症との間に因果関係(条件関係及び相当因果関係)があることを認め、その結果、本件疾病の発症は、業務に起因するものであると認めて、本件各処分を取り消した。控訴人は、原判決を不服として控訴した。


【争点】

(1)免疫力の低下を理由とする本件疾病発症及び死亡の業務起因性の有無
(2)治療機会の喪失を理由とする本件疾病発症及び死亡の業務起因性の有無
   以下、主に上記(1)についての裁判所の判断の概要を示す。


   なお、D病院の主治医であったD1医師は、本件各処分前に大阪中央労働基準監督署長宛に追加して提出した意見書において、亡Aが過労によって劇症型心筋炎を発症したと判断する根拠について、概要、以下のとおり説明した。
 ア ウイルス性心筋炎はあくまでも通常の我々の生活の中で遭遇する種々の感染症、破りやすいところで例えるなら感冒やインフルエンザのようなウイルス性感染症や、細菌性肺炎や膀胱炎など、また結核など細菌感染症といった外的な感染源により生じる疾患の一種ということである。
   したがって、過労による疲弊・ストレス過剰状態がもたらす免疫力の低下による感染症全般に対する易感染性と感染症重篤化傾向につき検討することが重要で、必要にして十分である。
 イ 過労によって免疫力が低下しているとウイルスを含めてあらゆる感染症を発症しやすくなること発症後に治りにくく、重症化する、症状の進展が早くなるなどは医学的にみても矛盾のない事実と判断できる。         
 ウ 過労状態になく免疫力に問題がなければウイルス感染そのものをきたしにくく、また劇症型心筋炎であっても予後は良好であることが多いとされるところが、免疫力が低下している場合にはウイルス性の劇症型心筋炎に罹患しやすく、病状の急激な悪化、予後の不良(重篤化)に結びつくと考えられる。
   亡Aが過労状態で免疫力が大幅に低下していたため、劇症型心筋炎に罹患したうえ、軽快することなく一気に劇症型(重篤化)したと考えることに矛盾はないと言える。


   また、裁判所は、急性心筋炎を発症し劇症化する機序について、以下のとおり、認定している(注:特に証拠は摘示されていない。)。
 ア 心筋炎が劇症化する機序は、ウイルス感染の量、免疫反応等からの研究が行われているが、解明されていない。ウイルス量の増大、自己抗体による心筋傷害の持続、自己免疫性の亢進(過剰な防御機構)等複雑に関係しているとの考え、あるいは免疫応答の異常によるウイルスの持続感染、自己抗体による心筋細胞への持続的傷害、Th1/Th2のバランスが崩れることによる自己免疫機序の遷延や再燃等が、機序の一部であるとの考えが示されている。
 イ 心筋炎が劇症化する予測因子も、現時点では不明である。発症個体側の因子として、罹患時の心筋病変の範囲・重症度や完全房室ブロック・重篤な心室性不整脈の有無、腎機能等の諸因子が関与していることが推定される。また、心筋炎の発症要因と同様に、患者個体の遺伝的・自己免疫的素因等の関与によって劇症化しやすいとも考えられる。


【裁判所の判断】

(1)免疫力の低下を理由とする本件疾病発症及び死亡の業務起因性の有無
 ア 判断枠組み
   労災保険法及び労働基準法に基づく保険給付は、労働者の業務上の疾病等に関して行われる(労災保険法7条1項1号)ところ、労働者災害補償保険制度(以下「労災保険制度」という。)は、使用者が労働者を自己の支配下に置いて労務を提供させるという労働関係の特質を考慮し、業務に内在する各種の危険が現実化して労働者が疾病にかかった場合には、使用者の過失の有無を問わずに労働者の損失を填補する、いわゆる危険責任の法理に基づく制度であることを踏まえると、労働者が「業務上」の疾病にかかった場合とは、労働者が業務に起因して疾病にかかった場合をいい、そのような場合に当たるというためには、業務と疾病との間に相当因果関係が認められなければならないと解すべきである(最高裁昭和51年11月12日判決参照)。
   ところで、労災保険法12 条の8第2項により労災保険の支給基準についても適用される労働基準法75条2項を受けた労働基準法施行規則35条、同別表第1の2第2号から第10は、業務上の疾病の多くが災害によらないものであり、業務起因性の判断が容易ではないことから、当該業務に従事することによって、その業務が含んでいる特定の有害因子により当該労働者に当該疾病が発病し得ることが医学経験則上一般的に認められている類型を、第2号ないし第9号については具体的に疾病を列挙することで、第10号については厚生労働大臣の指定に委ねることで業務上の疾病の範囲を定めている。
   そして、上記類型は以上のように定められたものであるから、上記類型に掲げられた業務に従事した労働者が当該疾病を発症した場合には、業務起因性の存在が事実上推定されるといえる。他方、本件疾病は、当該別表に示されていない疾病であるから、当該別表第11号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かの問題となるのであって、個別に業務と当該疾病との間に相当因果関係が認められるかという観点から判断され、その立証責任は被災を主張する側が負うものと解される。
   なお、この相当因果関係を判断するためには、まず当該労働者は当該業務に従事しなければ当該結果が生じなかったという事実的因果関係(条件関係)が前提として認められる必要があるが、この因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討して、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである(最高裁昭和50年10月24日判決(ルンバール事件判決)参照)。
 イ 検討
  a)被控訴人は、亡Aが、本件疾病発症前、常軌を逸した長時間労働に由来する過労状態、睡眠不足状態であったため、免疫力の低下、異常が生じており、その結果、ウイルス感染によって心筋炎を発症し、更に劇症化したとして、亡Aが発症した本件疾病(劇症型心筋炎)及び死亡は、いずれも業務に起因することが認められると主張する。
   確かに、亡Aは、本件期間(注:平成23年11月30日から平成24年11月23日までの間)において、平均して1か月当たり約250時間の時間外労働に従事し、その間の睡眠不足もあったと認められ、一般常識に照らしても、Aは疲労が相当蓄積していたことが認められるというべきである。
   そして、一般的に疲労や睡眠不足の免疫力への影響については、その具体的機序は明らかではないものの、過重労働により身体に過度の負担がかかった場合、風邪(風邪症候群、以下「風邪」という。)を頻繁にひく、風邪がなかなか治らないなどの経験を多くの人がしているところであるから、長時間労働や睡眠不足が免疫力の低下をもたらす可能性は否定できないところである(この点は、大阪中央区労働基準監督署の職業病相談員であるS医師、大阪労働局地方労災医員のY医師も否定しているわけではない。)。したがって、顕著な長時間労働と睡眠不足が長期間続いたという事実は、Aの免疫力が本件疾病発症当時低下していたことを推認させる事実であるということができる。
  b)そこで、本件において、Aの免疫力の低下を推認させると考えられるその他の事実の有無についても検討する。
   D病院に入院直後の亡Aの血液検査の結果によれば、亡Aは、ヘモグロビン濃度、総蛋白、アルブミンについて、いずれも参考基準値内出会ったことが認められ、原判決第4の1(5)イで列挙した疾患や病態にはないということが客観的に裏付けられており、これらに特段の身体不調を示す所見はないから、血液検査の結果は、免疫力の低下を推認させるものとはいえず、かえって免疫力が低下していなかったことを推認させる事実であるということができる。
   また、Aと日常生活を共にしていた妻である被控訴人は、亡Aが毎日の勤務に疲労を訴えていた旨を供述し、その作成に係るメモ及び陳述書においても同旨の陳述をしているが、他方で、Aが平成25年3月に本件会社を退職して独立することを計画して業務外でランチやディナーに出かけたり、シェフの集まりに参加したりするほか、休日には被控訴人とも積極的に外出していた事実を供述及び陳述している。その上、同供述及び各陳述には、亡Aが、この間、免疫力の低下を示唆する典型的なエピソードである風邪にかかりやすくなっていたであるとか、発熱を繰り返していたなどの事実に触れる部分が全くなく、これをうかがわせる証拠もないから、これらの事実も、Aは、長期間、長時間労働と睡眠不足を継続してきていたが、必ずしも免疫力が低下していなかったことを推認させる事実であるといえる(亡Aが平成21年11月以降本件疾病発症時まで医療機関を受診した事実がないことも認められる。)。
   更に、免疫力の低下によりヘルペスが出やすくなることが知られており、この事実は厚生労働省の研究班による報告書においても示されているが、被控訴人の供述及び被控訴人作成のメモ及び陳述書中には、Aにヘルペス由来の症状が出たなどの事実について触れる部分はない。そして、本件レストランの同僚作成に係る陳述書にも、本件レストランにおける仕事の過酷さや本件レストランで稼働していた従業員全般の睡眠不足を訴える部分があるものの、亡Aが風邪等を繰り返しひいていたとか、ヘルペスが出ていたなどの免疫力の低下を端的に示す事実に触れるところもないから、これらの事実もAの免疫力が低下していなかったことを推認させる事実であるといえる。
   c)そうすると、確かに亡Aは、本件疾病発症前、常軌を逸した長時間労働に由来する過労状態にあり、また、慢性的な睡眠不足状態であったことが認められ、これによる免疫力の低下が心筋炎を発症させるウイルス感染を生じさせた事情の一つとなっていた可能性を否定することはできないといえるが、考えられ得るその他の免疫力の低下を推認させる事実については、いずれも免疫力の低下を示しておらず、かえって免疫力が低下していなかったことを推認させているというべきである。
   したがって、上記諸事実を総合すると、Aについては、被控訴人が主張する免疫力が低下していたものとまでは認め難いから、さらにこれが原因となって本件疾病を発症し、その結果死亡するに至ったことを理由に業務起因性をいう被控訴人の主張は採用できない。
  d)その上、亡Aにつき過重業務と本件疾病(劇症型心筋炎)の発症との間に因果関係があると認められるためには、過重業務によりウイルス感染をしたことが認められるだけでは足りず、端的に本件疾病である劇症型心筋炎の発症に至ったことについての因果関係が認められなければならないが、そもそも本件疾病(劇症型心筋炎)の発症については、その発症の機序はもとより、これを発症させる因子は医学的に不明であって、少なくとも過重業務によってウイルス性心筋炎を発症し劇症化するという経験則が存在すること認められるわけではない。
   そうすると、仮に亡Aが従事した過重業務が同人の免疫力の低下をもたらすものであったとしても、長時間労働が本件疾病の発症を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を認めることはできないから、長時間労働と本件疾病の発症との間に因果関係を認めることはできず、ひいては長時間労働と亡Aが死亡するに至ったことについて因果関係を認めることもできないというほかない。
  e)これに対し、被控訴人は、最高裁昭和50年10月24日判決を前提に、ウイルス性心筋炎である本件疾病も、心筋にウイルスが侵入し、自然免疫、獲得免疫によってウイルスが排除できないというウイルス感染症の問題であるとし、ウイルス感染症である風邪長時間労働や睡眠不足である場合ひきやすくなるだけでなく重篤化し、死亡に至ること医学的な常識になっているから、これにより亡Aが同じウイルス感染症である本件疾病を発症したことについて業務起因性を肯定するに必要にして十分であると主張する。
   この被控訴人の主張は、要するに風邪は長時間労働や睡眠不足がある場合にひきやすくなるだけでなく重篤化するという医学的常識が、同じウイルス感染症である劇症型心筋炎にも当てはまる経験則であるから、最高裁昭和50年10月24日判決に従えば、この経験則を参照することにより、過重業務と劇症型心筋炎の発症との因果関係は当然に肯定されるというものと解される。そして、亡Aが本件疾病を発症したことについて業務起因性が認められるとするD1医師及びGクリニックのG1医師作成に係る各意見書も、この趣旨をいうものと理解できる。
   確かに、本件において認定されるべき長時間労働及び睡眠不足という特定の事実と本件疾病の発症という特定の結果発生との間の因果関係は、機序の解明までは求められないところの不法行為法上の法的評価としての因果関係と同様であり、その判定は通常人を基準とするものであるけれども、そうであるからといって、法的判断として医学的知見と相容れない因果関係を認める判断が許されるわけではないから、ここで参照すべき経験則とは、医学的知見に照らしても首肯し得る経験則であることが必要というべきである。そして、仮に当該疾病に直接当てはまる経験則の存在が認められない場合において、これと類似する疾病についての経験則を参照するにしても、少なくともその経験則を参照することが医学的知見に照らして首肯し得るものであることが必要である。
   したがって、風邪は過重労働や睡眠不足によってかかりやすく重篤化しやすくなるという経験則が医学的常識として認められ、医学的知見に照らしても首肯し得るとしても、①それが劇症型心筋炎について直接当てはまる経験則であるか否かがまず問われ、さらにそうでない場合においても、②これを参照することが医学的知見に照らして首肯し得るかが問われるのであり、そうでない限り、風邪についての経験則の存在を持って、過重労働と劇症型心筋炎の発症との間の因果関係を認めるに足りる立証がされたとはいえないというべきである。
  f)そこで、そのような観点から検討すると、後に詳述するとおり、①被控訴人主張に係る風邪についての医学的常識にもなっている経験則は、そもそも劇症型心筋炎が風邪とは明らかに異なる疾病であるのみならず、その発症態様が風のそれとは相当異なることから、劇症型心筋炎に直接当てはまるとすることに疑問があるし、②同じウイルス感染症であることを手掛かりに参照するにしても、風邪についての経験則を劇症型心筋炎の発症について参照することは医学的知見に照らして首肯し得ないことから、これを本件において参照すべき経験則であるということはできない。
   すなわち、風邪は多くの人がかなりの頻度で罹患するウイルス感染症であるのに対し、ウイルス感染症の急性心筋炎はもとより、劇症型心筋炎は、さらに稀な疾患である。そして、そもそも全身性ウイルス感染の際に心筋細胞へのウイルスの侵入は稀ではないとされているが、必ずしも心臓疾患を伴うわけではなく、特定のごく少数のみが臨床学的症状を示し、そのうち一部が急性心筋炎を発症し、さらにその一部の者が劇症化して重篤な心筋傷害を来すのであるが、どのような誘因により劇症型心筋炎が発症するか、どのような患者が劇症化するかについては、現在でもなお医学的に不明とされている。
   そして、急性心筋炎を発症し劇症化する機序は、未だ解明されていないものの、その機序としては、免疫力の低下ではなく、自己免疫性の亢進(過剰な防御機能)自己免疫機序の遷延や再燃等免疫の過剰反応複雑に関係しているとの考えが示されているところ、過重労働や過大なストレスの免疫力の影響について検討した各種医学的文献(注:具体的にどの文献を指すのかは示されていない。)には、過重労働や過大なストレスが免疫力を低下させるという意味で免疫の異常を生じさせるという記載はあるものの、それらに免疫が過剰に反応する意味で免疫力の異常を生じさせることをいうものは認められず、過重労働や過大なストレスが免疫の過剰反応を生じさせるとの一般論が存するとも認められない。そうすると、過重労働や過大なストレスから劇症型心筋炎が発症するという推認は、劇症型心筋炎の発症が免疫の過剰反応などが複雑に関係しているとする上記認定に係る医学的知見とは相容れないものといわなければならない(なお、前掲のD1医師及びG1医師の各意見書は、免疫力の低下を問題にしていて、免疫の過剰反応について触れるところはない。)。
   そのほか、心筋炎の劇症化の予測因子として、種々の因子が検討され、遺伝的要因も検討されているが、いずれにせよ、免疫力の低下が心筋炎の発症及びその劇症化の要因である旨を端的に述べた医学的文献等は見当たらず、心筋炎ないし劇症型心筋炎患者の分析検討をした研究においても、免疫力低下に着目して分析検討した研究があるわけでもない。
  g)そうすると、同じウイルス感染症とはいえ、劇症型心筋炎と風邪とは相当異なった疾病であって、その発症原因等を同様に論じることは医学的に相当とは考え難く、現に同様に論じることが承認されていることを裏付ける医学的見解は、前掲のD1医師及びG1医師の各意見書のほかは認められないから、亡Aの業務と本件疾病の発症との間の因果関係を検討するに当たり、風邪についていわれる上記医学的常識ともいえる経験則が同じウイルス感染症である劇症型心筋炎にも当てはまることを肯定するD1医師及びG1医師の各意見書で示された見解は、その可能性が全くないとはいえないものの、一般に承認された医学的見解とは認められず採用し難いといわなければならない。
   したがって、上記最高裁判決に従って判断すべきとする被控訴人主張は正当であるが、①被控訴人主張に係る風邪についての経験則過重労働と劇症型心筋炎の発症との間の因果関係を判断するに当たって直接当てはまる経験則とは認められず、また、②同じウイルス感染症であることを理由にこれを参照することも医学的知見に照らして首肯し得るものとは認められないから、被控訴人主張に従って長時間労働及び睡眠不足の事実と本件疾病の発症との間に因果関係を認めることができず、ひいてはその死亡との因果関係も認めることはできないと判断するのが相当である。
  h)以上のとおりであるから、亡Aは、本件疾病発症前、常軌を逸した長時間労働に由来する過労状態、睡眠不足状態であったために免疫力の低下、異常が生じており、その結果、ウイルス感染によって心筋炎を発症し、さらに劇症化したとして、亡Aの本件疾病(劇症型心筋炎)の発症及び死亡について業務起因性が認められるとする被控訴人の主張は採用できない。

(2)治療機会の喪失を理由とする本件疾病発症及び死亡の業務起因性の有無
   亡Aは、客観的にみて安静を要するような状況にあるにもかかわらず、休暇の取得その他安静を保つための方法を講じることができずに引き続き業務に従事しなければならなかったため治療機会を喪失し、その結果、心筋炎が増悪、激消化し死亡するに至ったとは認められない(注:理由については、省略する。)から、そのことを前提に、亡Aの本件疾病の発症及び死亡について業務起因性が認められるとする被控訴人の主張は採用できない。

(3)結論
   以上によれば、本件疾病はいずれの観点からも、前記労働基準法施行規則35条、同別表第1の2題11号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」とは認められないから、亡Aの本件疾病発症のみならず、これに起因する急性心不全の発症及び死亡は労災保険の支給事由には該当しないというべきであって、その該当を理由とする被控訴人の各保険の給付請求を却下した本件各処分は違法であるとはいえない。
   したがって、本件各処分の取消しを求める被控訴人の請求はいずれも理由がない(取消・請求棄却)。


【コメント】

   本裁判例は、亡Aの本件疾病(劇症型心筋炎)発症についての業務起因性の有無を判断するに当たり、①「風邪は過重労働や睡眠不足によってかかりやすく重篤化しやすくなるという経験則」が劇症型心筋炎について直接当てはまるものであるか否か、そうでない場合においても、②これを参照することが医学的知見に照らして首肯し得るか否かを、検討課題として設定しています。ただし、上記①については、本件疾病(劇症型心筋炎)の発症については、その発症の機序も、これを発症させる因子も医学的に不明との認定を前提とする限り、肯定される余地はないと思われます。それゆえ、実際には、上記②のみが検討課題となります。
   この点、本裁判例は、急性心筋炎を発症し劇症化する機序としては、免疫力の低下ではなく、自己免疫性の亢進(過剰な防御機能)、自己免疫機序の遷延や再燃等の免疫の過剰反応が複雑に関係しているとの考えが示されているとの認定を前提として、各種医学的文献には、過重労働や過大なストレスが免疫力を低下させるという意味で免疫の異常を生じさせるという記載はあるものの、それらに免疫が過剰に反応する意味で免疫力の異常を生じさせることをいうものは認められないと判示して、上記②について、上記の経験則を参照することは医学的知見に照らして首肯し得るものとは認められないとの結論を導きました。
   このような急性心筋炎の発症と免疫力の低下との関連性を否定する見方が、一般に承認された医学的見解といえるかどうかについては、議論の余地があるものと思われます。

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