劇症型心筋炎の発症は、発症前12か月間、平均して1か月当たり約250時間の時間外労働を含む長時間労働に起因するものと認定し、不支給処分を取り消した事例(控訴審係属中)
【事案の概要】
(1)有限会社L(以下「本件会社」という。)の従業員であったAが、平成26年6月○日に死亡した(注:死亡に至る経緯については、大阪地裁令和2年2月21日判決の【事案の概要】参照。なお、以下、Aの各入院先を「D病院」及び「E病院」という。)。
(2)原告(注:Aの妻)は、Aの死亡が本件会社での業務に起因するものであるとして、大阪中央労働基準監督署長(以下「処分行政庁」という。)に対し、療養補償給付、遺族補償年金、葬祭料及び休業補償給付の各支給を申請したところ、処分行政庁は、平成26年12月5日及び同月8日、それぞれ不支給とする各処分を行なった(以下、「本件各処分」という。)。
原告は、審査請求及び再審査請求を経た後の平成29年2月21日、被告(注:国)に対し、本件各処分の取消しを求めて、本訴訟を提起した。
【争点】
劇症型心筋炎(以下「本件疾病」という。)発症の業務起因性の有無(Aの業務と本件疾病発症との因果関係[条件関係及び相当因果関係]の有無)
以下、裁判所の判断の概要を示す。
なお、被告の主張の骨子は、以下のとおりである。
ア 「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書」(以下「検討会報告書」という。)を基として作成された平成13年12月12日基発1063号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(以下「認定基準」という。)においては、外因であるウイルスによる感染症である急性心筋炎は、従来から、業務による過重負荷との認定基準の対象疾病としては想定されておらず、検討会報告書においても、ウイルスによる感染症である急性心筋炎を対象疾病とすべきとする根拠のある医学的な新知見はないと判断された。
イ D病院入院時(平成24年11月24日)の血液検査の結果(略)については、いずれも正常範囲内であり、本件疾病発症当時、Aに免疫力の低下が存在したとは考え難い。
仮にAに免疫力の低下があったとしても、医師の意見書によれば、本件疾病の発症が業務に起因するものということはできない。
a)F病院F1医師の意見 略
b)国立国際医療研究センターH医師の意見 心筋炎発症に関する因子として、病原(ウイルス、細菌など)以外に個体因子(遺伝的背景、男女、年齢など)と環境因子(住居、職場、仕事内容、作業時間、睡眠時間など)が考えられているが、過重労働による疲労と睡眠不足などによる免疫動態の変化については、長時間労働や疲労・過労に関する科学的研究は非常に遅れており、特に疲労が免疫機能に与える影響はほとんど明らかになっていない。現状では、過重労働(長時間労働)や疲労・過労は免疫機能を抑制する可能性があるというものにとどまり、どの程度の労働時間数であれば、細菌やウイルスに対する免疫がどの程度低下するということを客観的に説明することはできない。
c) 埼玉医科大学国際医療センター心臓内科N名誉教授の意見 略
【裁判所の判断】
(1)業務起因性に関する法的判断の枠組み 労災保険法及び労働基準法に基づく保険給付は、労働者の業務上の疾病等に関して行われる(労災保険法7条1項1号参照)ところ、労働者災害補償保険制度(以下「労災保険制度」という。)は、使用者が労働者を自己の支配下に置いて労務を提供させるという労働関係の特質を考慮し、業務に内在する各種の危険が現実化して労働者が疾病にかかった場合には、使用者の過失の有無を問わずに労働者の損失を填補する、いわゆる危険責任の法理に基づく制度であることを踏まえると、労働者が「業務上」の疾病にかかった場合とは、労働者が業務に起因して疾病にかかった場合をいい、そのような場合に当たるというためには、業務と疾病との間に相当因果関係が認められなければならないと解すべきであり、業務と疾病との間の相当因果関係の有無は、その疾病が当該業務に内在する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。
(2)疲労の蓄積と免疫力の低下 疲労の蓄積と免疫力の異常との関係について、以下の医学的知見が認められる。
①及び② 略
③D病院D1医師、職業病相談員S医師及び大阪労働局地方労災医員Y医師は、処分行政庁に対し、それぞれ疲労の蓄積によって免疫力の異常が生じることを前提とする意見を述べていること
④D1医師は、インフルエンザや肺炎が、老人、幼児や基礎疾患を有する人が感染しやすく、重篤化を来し、死に至る危険性が高いのは周知の事実であり、その理由は、免疫力が一般の健康な成人よりも低下しているためであることに触れながら、過労によって免疫力が低下すると、ウイルスを含めあらゆる感染症を発症しやすく、また病状の進行が速くなり、重篤化することは医学的にみても矛盾のない事実であると判断できるとの意見を述べていること
⑤略
⑥国立国際医療研究センターH医師は、心筋炎発症に関わる因子として個体因子(遺伝的背景、男女、年齢)のほか、と環境因子(住居、職場、仕事内容、作業時間、睡眠時間など)が考えられるとの指摘や、慢性疲労が、NK細胞の数の減少や活性の低下、リンパ球T細胞(CD4陽性T細胞、CD8陽性T細胞[(細胞傷害性T細胞)])の増加など、免疫系の異常と関連するとの研究報告に言及し、また、睡眠を1日5時間しかとることができなかった42例において、免疫担当細胞や免疫応答への影響を検討した結果によれば、NK細胞の数の減少や活性の低下等が観察され、睡眠不足によって、免疫担当細胞や免疫応答の異常が出現することが判明したと指摘していること
⑦略
これらによると、疲労の蓄積によって、自然免疫機能の低下や獲得免疫機能の過剰といった、免疫力の異常が発生する結果、ウイルスに感染しやすく、また、感染症の症状が重篤化しやすい状態になること自体については、相応の医学的な裏付けがあると認めるのが相当である。
イ なお、H医師は、長時間労働や疲労・過労に関する科学的研究は非常に遅れており、特に疲労が免疫機能に与える影響はほとんど明らかになっていないため、現状では、長時間労働や過労が免疫機能を抑制する可能性があるということができるにすぎない旨指摘している。
しかしながら、同医師は、上記アのとおり、慢性疲労や睡眠不足と、NK細胞の数の減少や活性の低下、リンパ球T細胞の増加など、免疫系の異常との関連や、睡眠不足と免疫動態の変化を示唆していることからすると、同医師の意見は、時間外労働時間数が免疫力の異常に与える影響について医学的に解明されているとはいえないとしつも、疲労の蓄積によって免疫力に異常を来すこと自体を否定する趣旨ではないと理解することができ、H医師の上記指摘をもって、上記アで認定説示した点が覆されるとはいえない。
(3)Aの長時間労働と免疫力異常との関係 Aは、平成23年11月30日から平成24年11月23日までの間(以下「本件期間」という。)において、平均して1か月当たり約250時間の時間外労働に従事していたと認められる。
この点、確かに、H医師が指摘するとおり、「何時間の労働であれば、細菌やウイルスに対する免疫がどの程度低下するか」については、明らかでなく、Aの免疫力の低下を直接的に示すデータがあるとはいえない。
しかしながら、認定基準においても、疲労の蓄積をもたらす最も重要な因子と考えられるのは、労働時間であり、その時間が長いほど、業務の過重性が増すとの指摘がなされているところ、上記のとおり、Aの時間外労働時間数は、認定基準によって、業務と虚血性心疾患等の対象疾病の発症との関連性が強いと評価できる時間(発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間の時間外労働)を、長期間にわたって大幅に超えるものであって、かかる長期間かつ長時間にわたる時間外労働に従事したことは、睡眠時間の極端な不足、極度の肉体的及び精神的負荷を生じさせ、もって、疲労の著しい蓄積をもたらしたものであると認められる。そして、上記(2)で認定説示のとおり、疲労の蓄積は免疫力の異常を生じさせるものということができるところ、本件のように長期間にわたって、極端に長時間の労働に従事することによって、疲労の著しい蓄積が生じていた場合には、それに応じて、Aの免疫力に著しい異常が生じていたものと認めるのが相当である。
(4)業務と心筋炎発症及びその劇症化との因果関係
ア 上記認定事実によれば、以下の点が認められる。
①本件疾病は、ウイルス性のものであると考えられること
②ウイルスが心筋細胞に侵入した後、宿主は、自然免疫及び獲得免疫の反応によって、ウイルスを心筋細胞から排除するものの、自然免疫反応を担当する細胞が活性化されておらず、あるいは獲得免疫反応が過剰に作用するという状況において、心筋傷害や心筋細胞壊死を引き起こすなどして心筋炎を発症し、あるいは心筋炎が劇症化すること
③疲労の蓄積、慢性疲労や睡眠不足によって、NK細胞の数の減少や活性の低下、リンパ球T細胞(CD4陽性T細胞、CD8陽性T細胞)の増加など、免疫力の異常が生じること
④Aが、本件期間につき、平均して1か月当たり約250時間の時間外労働に従事し、極端な睡眠不足から、疲労を蓄積させ、免疫力の著しい異常を生じさせていたこと
これらの点に加え、
⑤D病院D1医師は、(処分行政庁に対し)先行するウイルス感染がAの過労状態により自身の免疫力が低下していたことも影響し、心筋へと感染が拡大し、極度の疲労と免疫力低下が手伝って心筋炎が劇症化した旨の意見を述べていること
⑥GクリニックG1医師は、Aについて1か月当たり200時間の時間外労働による過労やストレスによって、免疫の低下した状態にあったため、ウイルスに対する防御能が低下して感染しやすくなり、感染後心筋を標的臓器として侵襲し、ウイルス性心筋炎を発症し、防御能の低下によって心筋炎が劇症化した旨の意見を述べていること
をも併せ鑑みると、 長期間にわたる、平均して1か月当たり約250時間の著しい時間外労働を含む長時間労働は、免疫力の著しい異常により、自然免疫反応の低下あるいは獲得免疫反応の過剰を来し、感染症を発症及び重篤化させて死亡に至る危険を内在するものであるということができ、本件疾病の発症、すなわち心筋炎の発症及びその劇症化は、Aの業務に内在する上記危険が現実化したものであると認められる。
イ 被告は、医学的見地に照らすと、Aの業務と、心筋炎の発症及びその劇症化との間の因果関係が認められず、認定基準においても、外因であるウイルスによる感染症の急性心筋炎を対象疾病として想定すべきとする医学的な根拠、新知見はないと判断されたなどと主張し、H医師、N名誉教授及びF1医師の各意見書を提出する。
確かに、免疫反応は複雑なシステムであり、病原体であるウイルスの活性、増殖するウイルスへの持続的感染、宿主の免疫による心筋細胞に対する持続的傷害がそれぞれ、心筋炎の発生及び劇症化にどのように影響を及ぼすのかといった点や、時間外労働時間数がどれほどの時間であれば、マクロファージ等自然免疫担当細胞の成熟化、活性化がどの程度妨げられ、NK細胞の数の減少や活性の低下がどの程度もたらされ、CD4陽性T細胞、CD8陽性T細胞の増加がどの程度生じるかといった点などの、詳細な内容が医学的に解明されているとは認められず、それゆえ、H医師、N名誉教授及びF1医師が述べるように、宿主であるAの遺伝的背景その他個体因子など、業務外の事情が、本件疾病の発症に作用した可能性を排除することはできない。
しかしながら、上記アのとおり、本件疾病の発症、すなわち、心筋炎の発症及びその劇症化には、本件疾病の発症前12か月間もの長期にわたって、平均して1か月当たり約250時間の著しく長い時間外労働を含む長時間労働への従事という、免疫力に著しい異常を生じさせることの明らかな事情が作用したと考えられる一方で、かかる長時間労働以外に、本件疾病(心筋炎の発症及び劇症化)の発症に作用した可能性がある個別具体的な事情(例えば、Aの遺伝的背景等)の存在を認めるに足りる的確な証拠は認められないことからすると、業務外の事情が本件疾病の発症に作用した可能性は、具体的なものであるということはできない。
したがって、H医師、N名誉教授及びF1医師らによる指摘内容は、労災保険制度の下において、本件におけるAに係る長時間労働と本件疾病発症との間の条件関係及び相当因果関係の存在を覆すものとはいえない。
(5)結論
以上によれば、客観的にみて、本件疾病の発症は、Aに係る業務に内在する危険が現実化したものといえ、Aの長時間労働と本件疾病発症との間に因果関係(条件関係及び相当因果関係)があると認められる。したがって、本件疾病の発症は、業務に起因するものであると認めるのが相当である。
以上の次第で、原告の被告に対する本件各請求はいずれも理由がある(請求認容)。
“【労働】大阪地裁令和元年5月15日判決(労働判例1203号5頁)” への1件の返信
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