原告の主張するリンパ管損傷が存在していたとしても、事故態様及び発症時期から、その原因が本件事故にあるとはいえない上、原告の症状は他の機序によるものと符合するとして、原告の症状と本件事故との因果関係を否認した事例(控訴後和解)
【事案の概要】
(1)次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。
ア 発生日時 平成13年7月4日午前8時40分頃
イ 発生場所 札幌市内所在の交差点(以下「本件交差点」という。)
ウ 原告車 原告(昭和50年2月生まれの女性)が運転する自転車
エ 被告車 被告三郎が所有し被告次郎が運転する普通乗用自動車
オ 事故態様 徐行しながら本件交差点に進入してきた被告車と、その左側から歩道上を走行してきた原告車とが接触し、原告が転倒した。この転倒に際して、原告は、左のこめかみ付近から左手、左大腿部などの身体の左側面を打った。
(2)治療の経過
ア 平成13年7月4日(本件事故当日)~同年7月19日
原告は、本件事故当日、E整形外科を受診し、1週間程度の通院治療を要する頭部打撲及び擦過傷、左手関節捻挫、左大腿部打撲の傷害と診断された。原告は、受診当時、腹部の痛みや打撲について医師に申告することはなかった。
イ 平成13年8月20日
原告は、同日、発熱及び腹部痛を生じて、D病院を受診し、翌21日、左後腹膜にリンパ液が貯留していることが確認された。同病院のA医師は、この頃、リンパ液貯留の原因としてリンパ管が損傷したものと考えたが、本件事故から46日後に発症したもので、機序が不明であるとして、「突発性」(原因不明)のリンパ管損傷と判断した。
ウ 平成14年9月10日
A医師は、同日、原告の開腹手術を実施し、リンパ管が損傷していると考えられる部位を徹底的に結紮(けっさつ。身体の一部や医療機器を縛って固定する技術のこと)したが、リンパ管の損傷部位を確認することはできなかった。
なお、同手術の際、A医師は、左腎静脈から2, 3cm尾側(びそく。尾骨の方向のこと)の動脈左側と平行するリンパ管に直径2mmの孔(こう。穴のこと)を確認し、その頭側(とうそく。頭部の方向のこと)と尾側を結紮切離した。
エ 平成15年2月19日
A医師は、同日、原告の2回目の開腹手術を実施し、リンパ管が損傷していると考えられる部位を全て結紮したが、リンパ管の損傷部位を確認することはできなかった。
オ 平成23年4月以降
原告は、平成23年4月頃から、左外陰部に腫脹(しゅちょう。体の組織や器官の一部に血液成分が溜まってはれ上がること)を生じるようになり、同年11月頃から左陰部粘膜下にリンパ嚢腫(のうしゅ。水が溜まった袋のようなもの)を生じ、これがしばしば自然破裂することで、大量の排液が生じるようになった。
カ 平成24年5月以降
原告は、平成24年5月24日、発熱を生じて、D病院に緊急入院したところ、左下腹部手術創瘢痕分の切迫破裂状態が確認された。そのため、同病院のA医師は、同年7月6日、3回目の開腹手術等を実施し、椎体周囲のリンパ管を広範囲に結紮した。
キ 平成25年9月以降
原告は、リンパ液が貯留する症状が現れたため、C大学病院にて、左卵巣静脈・腹部リンパ管吻合(ふんごう。血管や神経をつなぐこと)術を受けた。原告は、更にその後も、同病院にて、リンパ管静脈吻合術、リンパ痩(漏出すること)部分切除施術を受けるなどした。
ク 平成28年4月6日(症状固定日)
C大学病院のB医師は、同日、原告につき、同日を症状固定日として、①腹部外傷による腸間膜根リンパ管損傷とそれに伴うリンパ管閉塞、②後腹膜、左鼠径部、左臀部、左外陰部リンパ嚢腫、③開腹後腸管癒着障害、子宮付属器癒着障害の後遺障害(以下、上記①ないし③の後遺障害を併せて「本件後遺障害」という。)が認められる旨診断した。
(3)リンパ管について
ア リンパ管は、リンパ液を全身の末梢の細胞から鎖骨の静脈を経て心臓へ運び、リンパ節とともにリンパ系を形成するものであって、動静脈血管と並走することが多い。
イ 胃や腸周辺のリンパ管及びリンパ節は、小腸などのある腹腔(ふくくう。腹膜に包まれた空間のこと)内にある。小腸で吸収されたリンパ液は、腸管(小腸)を取り囲む腸間膜付近のリンパ管(腸間膜リンパ管)を通り、腸間膜リンパ管が、後腹膜(こうふくまく。身体において腹膜の外側(背中側)のこと)に沿う形で存在する複数のリンパ管で網目状のネットワークを形成しつつ、上方(頭部方向)へ合流していって腸膜間リンパ管本幹となり、さらにその上方で腹部リンパ管と合流して乳び漕(にゅうびそう。リンパ管の本幹である胸管の始部にある拡大部のこと)となり、その後、上方で胸管となり、鎖骨下静脈と合流する。
ウ リンパ管が何らかの原因で閉塞されると、リンパ液のうっ滞(うったい。流れが停滞した状態のこと)が起き、リンパ管が異常に拡張することがある。
(4)原告は、本件訴えを提起して、原告が本件事故によりリンパ管損傷等の後遺障害を負ったなどと主張して、被告らに対して、連帯して1億7,256万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求めた。
【争点】
(1)過失相殺の可否及び過失割合(争点1)
(2)原告の損害の有無及び額
ア 本件後遺障害の存否及びその原因(争点2ア)
イ 各損害項目の当否(争点2イ)
ウ 素因減額の可否(争点2ウ)
以下、裁判所の判断の概要を示す。
なお、上記(2)アについて、原告は、以下のとおり主張した。
本件後遺障害は、①本件事故により、原告の胸管入口付近(腹腔動脈分岐部近傍)のリンパ管が損傷し(外傷性リンパ管損傷)、②この損傷箇所からリンパ液が流出して左側後腹膜腔に貯留し、腹部の炎症を引き起こすなどして生じたものである(以下、この機序を「本件機序」という。)。
ア 本件事故の際、原告車(自転車)のハンドル又はサドルが原告の腹部に差し込み、その結果、原告の胸管入口付近のリンパ管が損傷した。
イ 上記アのリンパ管の損傷箇所からリンパ管が流出し、左側後腹膜腔に漏れ出した後、左骨盤後腹膜へと流出して、これが貯留することになった。そして、貯留したリンパ液が死腔液となり、腹部の炎症を引き起こした。
このことは、画像所見のほか、リンパ液が脆弱化した腹壁から陰部へ流出していることからも明らかである。
【裁判所の判断】
事案に鑑み、争点(2)アから先に検討する。
(1)争点2ア(本件後遺障害の存否及びその原因)について
ア リンパ管の損傷の有無について
a)原告は、本件事故により胸管入口付近のリンパ管が損傷したと主張する。
しかし、本件証拠上、本件事故直後の時点において、原告の胸管入口付近のリンパ管が損傷したことを端的に示す証拠は何ら見当たらない。
かえって、本件事故の翌年の平成14年9月に1回目の開腹手術が行われ、翌々年の平成15年2月に2回目の開腹手術が行われているが、いずれの手術の際にもリンパ管の損傷部位は確認されなかったものである。
b)この点につき原告は、画像所見によればリンパ管損傷が認められる旨の意見書を提出する。
しかし、そもそも上記意見書が根拠とする画像は平成25年撮影のMRI画像であり、既に本件事故から10年以上が経過し、その間、3度にわたる開腹手術においてリンパ管の徹底的な結紮を施されたものであって、もはやこのようなMRI画像から本件事故当時のリンパ管の状態を確認することは不可能ないし著しく困難であるものといわざるを得ない。
しかも、上記画像から判明するのは、下肢及び腹腔内のリンパ液の流れが腸管膜根のレベルで途絶えており、それよりも中枢側にはほとんど流れていないという程度であって、リンパ管が損傷しているとまで断定し得るのか疑問がある。
c)以上によれば、本件証拠上、原告の主張するリンパ管損傷があったものと認めることは困難である。
イ 本件事故との因果関係について①―本件事故の態様
念のために検討するに、仮に原告においてリンパ管の損傷が存在していたとしても、その原因が本件事故にあると断ずるのは、本件事故の態様に照らすと、以下のとおり極めて困難であるといわざるを得ない。
a)そもそも、本件において損傷したとされる腸間膜リンパ管ないし胸管入口付近のリンパ管は、腹腔背側という身体の深部にあるのであり、身体に対して鈍的に大きな力が加わるのでなければ、そうした深部にある組織の損傷が生じるとはにわかに考え難い。
しかるに、本件事故は、自転車である原告車と被告車が交差点で接触し、原告が転倒したというもので、双方の車両は比較的低速であって、救急要請や警察への通報などもなされていない上、被告車にも損傷がないなど、事故態様自体は軽微なものである。
そして、原告は、身体の左側面を地面に打ったものの、本件事故直後に受診した際には腹部の痛みは訴えておらず、本件証拠上、腹部を地面に打ち付けたとか、自転車のサドルやハンドルが原告の腹部に当たったなどと述べていたようにもうかがわれない。
b)また、本件においてはリンパ管以外の器官や組織は損傷していないところ、損傷が生じたとされる腸間膜リンパ管ないし胸管入口付近のリンパ管は、他の器官の周辺に所在し、動静脈などと並走することが多いのであって、こうした他の器官や組織を傷つけることなくリンパ管のみの損傷を生じるというのは、にわかに考え難い。
ウ 本件事故との因果関係について②―発症時期
また、仮に原告においてリンパ管の損傷が存在していたとしても、原告の発症時期に照らせば、以下のとおり、その原因が本件事故にあるとするのは困難である。
a)本件機序によれば、本件事故での外傷によりリンパ管が損傷し、リンパ液の流出という事態が生じるに至ったこととなるが、こうしたリンパ管の損傷が生じたとすれば、①若干の損傷の場合であれば、ネットワーク状になっている他のリンパ管によって代替され、リンパ液の流出といった事態が生じることは考え難く、②他方で、大規模な損傷の場合であれば、短期間のうちに症状が生じるものと考えられるところである。
b)しかるに、本件においては、本件事故直後、1ヶ月半程度経過してから突然症状が生じたというのである。そして、この間、原告は従前と同様に仕事をするなどしていたものであって、他に何らかの症状の発生をうかがわせるような事情もない。
したがって、リンパ管損傷が本件事故により生じたというのは、このような発症時期に照らしても、にわかに考え難い。
エ 本件事故との因果関係について③―他の機序による症状との符合
かえって、原告の症状をみると、被告らの主張するとおり、これらは他の機序により生じたのではないかと考えざるを得ない。
a)被告らは、
①本件事故前までは、乳び漕から胸管の狭窄部を含め、広範にリンパ管の閉塞があったものの、側副リンパ行路で補填ないし代替されて微妙なバランスが保たれていたところ、
②原因は不明であるが(年齢を経てのこの部位の狭窄が徐々に大きくなったことなどが想定される。)、本件事故後にリンパ液のインとアウトのバランスが崩れた状態となり、精密検査をしないままに徹底したリンパ管の結紮手術が実施されたために、上記のバランスが悪化し、
③流れる先を失ったリンパ液がうっ滞し、これによりリンパ管の内圧が高まって身体のどこかのリンパ管に穿孔が生じ、流出したリンパ液が後腹膜や左鼠径部、左臀部、左外陰部に貯まった
ことによるものと考えられる旨主張する。
b)そして、上記①について、原告は、本件事故前の平成13年3月、発熱や腹痛などの症状を訴えて受診しており、これは、原告のリンパ管に本件事故前から異常があったり、本件事故以前からリンパ液漏れによる感染症が生じていたりしたとみることもできるものであって、被告らの主張する機序と符合する。
c)また、上記②及び③については、リンパ管の機能の低下によるリンパ性浮腫が35歳前後で起きるなど、加齢に伴ってリンパ管の機能の低下が起きるものと認められる。
そして、本件においては、1回目の開腹手術の際に、左腎静脈から2, 3cm程度尾側の動脈左部に2mm程度のリンパ管の孔が存在していたところ、
・当該部位は正常なリンパ管の直径(1mm)よりも拡張し、4mm以上になっていたこと、
・外力による損傷であれば、こうした孔ではなく断裂を生じるものと考えられる一方、内圧上昇によって穿孔が生じ得ること
からすれば、これらの点は、本件事故とは別に穿孔が生じたとの事実、ひいては被告らの主張する機序により生じたとの事実と符合するものである。
d)さらに、原告に対し、本件事故後合計3回にわたり、徹底したリンパ管の結紮術が行われたものの、リンパ液の流出が抑制されていないことも、リンパ液の流出が外傷によって生じた損傷を原因とするものではないことをうかがわせるばかりか、かえって被告らの主張する機序と符合する。
e)以上の諸点に照らせば、原告の症状は、むしろ、被告らの主張する機序により生じたもののようにうかがわれる。
オ 小括
以上によれば、本件証拠上、原告の主張するリンパ管損傷があったと認めることは困難である上、仮にリンパ管損傷が存在していたとしても、本件事故態様及び発症時期に照らすと、その原因が本件事故にあるということはできず、かえって原告の症状は他の機序によるものと符合するところである。
したがって、原告の主張する症状(本件後遺障害)は、本件機序によって生じたものでなく、本件事故との因果関係を欠くものといわざるを得ない。
(2)争点2イ(各損害項目の当否)について
ア 本件事故と相当因果関係のある損害は、平成13年8月20日の発症より前の損害、すなわち本件事故直後に原告の通院したE整形外科への通院慰謝料の限度となるところ、本件事故と相当因果関係のある通院慰謝料としては、10万円を認めるのが相当である。
イ これに対し、原告に対する既払金は、原告が自任するだけでも、被告側の保険会社からのものが1,078万6,956円、自賠責保険からのものが1,051万円に及ぶというのであって、過失相殺の当否について判断するまでもなく、本件事故により生じた上記アの損害額は、その全てが填補されたものといわざるを得ない。
(3)結論
原告の請求はいずれも理由がない(請求棄却)。
【コメント】
本裁判例は、原告の主張するリンパ管損傷があったと認めることは困難である上、仮にリンパ管損傷が存在していたとしても、本件事故態様及び発症時期に照らすと、その原因が本件事故にあるとはいえず、かえって原告の症状は他の機序によるものと符合するとして、原告の主張する症状(本件後遺障害)は本件事故との因果関係を欠く旨判示した事例です。
自賠責保険では因果関係が認められていたにもかかわらず、被告側による他の機序の提示を含めた反証が功を奏して、上記の結論が導かれています。