【労働】大阪地裁平成28年12月9日判決(労働判例1162号84頁)

医療法人貴医会事件(控訴中)


【事案の概要】

(1)被告は、平成8 年に設立され、〇〇病院(以下「本件病院」という)を経営する医療法人である。
   原告は、平成7年6月16日から本件病院の医事課においてレセプト業務等の医療業務に従事していた者であり、被告設立と同時に被告と労働契約(以下「本件労働契約」という。)を締結した。そして、原告は、同年12年6月16日、医事課主任に昇進し、同24年6月16日、新たに設置された病診連携室の主任に配置転換された。

(2)医事課の業務は、主に初診・再診受付、会計、院外処方箋渡し、診療報酬請求事務からなり、同課に設置されたコンピューター(サーバー本体1台、端末7台)を使用して行われている。そして、医事課のコンピュータには、診療情報システム(以下「本件システム」という。)であるソフトウェアがインストールされている。
   医事課の中心作業は、本件システムの「外来会計」で、外来患者の診療当日の診療内容を診療録(医師の手書きによるもの)に基づき入力し、診療報酬明細書及び院外処方箋を発行することであり、その入力権限を有しているのは、医事課の正職員のみである。他方、原告は、平成26年当時、病診連携業務のため、本件システムの診療情報を閲覧する権限を有していたが、本件システムに診療内容を入力する権限は有しなかった。

(3)被告代表者は、平成26年10月24日(金曜日)、本件病院の院長室において、被告関係者らの立合いの下、原告に対し、本件システムの診療情報を改ざんしたことを問い質したところ、原告は、これを否認した。
   ところが、原告は、休み明けの同月27日(月曜日)、本件病院の理事長室を訪れ、被告代表者に対し、「一身上の都合におり来る平成26年11月15日をもって退職したくお願い申し上げます。」と記載した退職届(以下「本件退職届」という。)を提出した。そして、原告は、同年10月29日の午後に退勤し、以後出勤しなかった。

(4)原告は、被告に対し、平成27年2月13日到達の内容証明郵便をもって、被告の退職金規定に基づき退職金の支払を求める旨を通知した。
   これに対し、被告は、原告に対し、同年3月18日頃、同日付け書面をもって、平成26年8月頃から本件システムの診療情報を改ざんしたことが、被告の就業規則(以下「本件就業規則」という。)69条11号の懲戒事由に該当するなどと通知した。そして、被告代表者は、平成27年4月1日、原告を懲戒解雇することを決定し、同月3日頃、原告にその旨通知した(以下「本件懲戒解雇」という。)。

(5)本件就業規則には、以下の定めがある。
 ア 27条1項(退職手続き)
   職員が自己の都合により退職しようとするときは、少なくとも1ヶ月前に退職事由を明記した退職届を病院に提出しなければならないものとします。
 イ 69条(制裁の基準)
   職員が次の各号の一つに該当するときは、これを制裁するものとします。
   1号ないし10号 省略
   11号 刑法その他の刑罰法規に触れる行為をし、その犯罪事実が明らかなとき。
   12号 その他前各号に準ずる行為があったとき。

(6)被告の退職金規定(以下「本件退職金規定」という。)には、以下の定めがある。
 ア 2条4号 職員が自己都合により退職したときに退職金を支給する。
 イ 4条 退職金の額を、退職日のおける職員の基本給に勤続年数(1年未満の端数切捨て)に対応する支給率(注:別表1にて定めるもの)を乗じて得た額と定める。 
 ウ 3条 次の各号のいずれかに該当する者には支給しない。
   1号 懲戒解雇された者
   2号及び3号 省略

(7)原告の平成26年11月当時の基本給の額が26万7700円であり、本件退職金規定の別表1が原告の勤続年数19年に対応する支給率を19と定めていることから、原告が同月に退職した場合の本来の退職金額は、同規定4条により、508万6,300円となる。
   (計算式)基本給26万7,700円×19=508万6,300円


【争点】

(1)退職金請求
 ア 退職金不支給の可否(争点1)
 イ 退職金不支給事由の存否(争点2)
 ウ 退職金不支給の当否(争点3)
(2)不法行為に基づく損害賠償請求
 ア 不法行為の有無(争点4)
 オ 損害(争点5)
   以下、裁判所の判断の概要を示す。 


【裁判所の判断】

(1)退職金不支給の可否(争点1)
 ア 被告は、本件懲戒解雇が有効であることを前提として、これが本件退職金規定3条1号所定の退職金不支給事由(懲戒解雇)に該当すると主張し、原告の退職金請求権の発生を争う。
   しかし、原告が、本件退職届を提出した日の翌々日(平成26年10月29日)の午後以降、労務を提供しなかったことなどによれば、原告は、本件退職届において確定的に退職する意思を表示していたといえる。よって、本件退職届は、合意解約の申込みではなく、一方的な解約の申入れ(辞職)であると解するのが相当である。
   そして、原告の賃金は月給制であるから、本件労働契約の解約申入れには民法627条2項が適用されるところ、同項及び本件就業規則27条1項により、本件労働契約は、遅くとも本件退職届が提出された日の1か月後である平成26年11月27日までには終了したといえる。したがって、本件懲戒解雇は、既に本件労働契約が終了した後になされたものであるから、法的な効力を有しない。よって、被告の上記主張を採用することはできない。
 イ しかしながら、当該退職金が賃金の後払い的性格と共に功労報酬的性格も有するといえる場合には、労働者においてそれまでの勤続の功労を抹消又は減殺する程度にまで著しく信義に反する行為があったと認められるとき、使用者は、その労働者による退職金請求の全部又は一部が権利の濫用に当たるとして、その支給の全部または一部を拒むことができると解される。
   そして、本件退職金規則に基づく退職金は、退職金不支給条項が置かれ、功労報酬的な性格を有するといえる。よって、原告の退職金請求の当否を判断するにあたっては、原告において在職中の勤続の功労を抹消又は減殺する程度にまで著しく信義に反する行為があったか否かを検討する必要があり、以下これを検討する。

(2)退職金不支給事由の存否(争点2)
 ア 認定事実
  a)平成26年7月下旬頃、医事課の職員(A主任、B,C,D)が、診療録に基づき本件システムに診療内容を入力するという作業を行う中で、当日の診察の処方の内容が前回の処方の内容と異なるという不自然なことが頻発し、人為的な操作による改ざんがなされていることが疑われた。E事務長及び医事課の正職員4名は、相談の上、同年8月4日からコンピュータの各端末のアクセスログ(コンピュータの接続履歴を記録したファイル)の保存を開始し、各端末で患者を検索したときの検索日時、端末名及び患者番号の確認を行えるようにしたところ、その後も診療情報の改ざんが続発し、それらは、WS002の番号を付された端末(以下「本件端末」という。)で行われたことが判明した。   
  b)被告は、診療情報の改ざんが行われている端末が特定されたことにより、同年9月2日から医事課職員に対し、本件端末を使用するときは、使用台帳(以下「本件台帳」という。)に使用者名、使用の開始時刻・終了時刻及び業務内容を記載させることとしたが、依然として診療情報の改ざんが収まらなかったことから、前医事課主任であり、病診連携室の業務のために本件端末を使用することがある原告の仕業であることが疑われた。
  c)被告が、同年9月26日、コンピュータのデスクトップ上の画面を録画するソフトウェア(以下「本件録画ソフト」という。)を本端末にインストールしたところ、同年10月7 日午前8時57分頃から同時59分頃まで、本件端末に接続されたUSBメモリ(病診連携室関係の情報が多数保存されたもの)の中から「介護支援連携指導料」、「介護意見書診察」、「介護意見書2」といったファイルが閲覧され、その直後の午前9時頃に本件改ざん(26)が実行されている画面が録画された。A主任は、この録画を見て原告が同改ざんの実行者であると確信し、被告代表者にその旨報告した。
  d)同年10月7日午後1時32分頃から同時37分頃まで、本件端末に接続されたUSBメモリ(病診連携室関係の情報が多数保存されたもの)の中から「職場責任者会議支援患者」というファイルが閲覧され、その直後の午後1時38分頃、本件改ざん(27)が実行されているところが、本件録画ソフトにより録画された。
  e)Cは、同月22日午後1時頃、原告が本件端末を操作しているところを現認し、本件台帳の使用者欄に「X」、開始時間欄に「13:06」、終了時間欄に「13:10」と記入して、事故の押印をした。
   本件改ざん(28)は、同日午後1時8分に本件端末を利用して実行され、同(29)は、その約1分後に本件端末を利用して実行された。
 イ 判断
   原告は、平成24年6月16日に病診連携室へ配置転換されるまで医事課主任を務めていたところから、本件システムの扱い方を熟知していたことが認められることに加えて、前記アe)の事実によれば、原告が、本件改ざん(28)及び(29)の実行者であると認められる。
   また、前記アc)及びd)の各事実によれば、本件改ざん(26)及び(27)が行われた直前に、その当時原告のみが担当していた病診連携室の業務に関係するファイルが閲覧されていることから、本件改ざん(26)及び同(27)の実行者も原告であることが推認される。

(3)退職金不支給の当否(争点3)
 ア 原告において在職中の勤続の功労を抹消又は減殺する程度にまで著しく信義に反する行為があったか否かを検討するに、原告は、18個の本件改ざん行為(注:前記(2)イで認定された本件改ざん(26)から同(29)を含む。)を行い、改ざんされた診療情報に基づいて保険請求がなされる危険があり、証拠(略)によれば、実際に本件改ざん⑱の不正な診療情報に基づき保険請求がなされ、改ざん発覚後、同請求を取り下げたことが認められる。
   このように、原告の改ざん行為は、不正な保険請求の危険を生じさせ、その結果、被告の医療機関としての信用を失墜させる危険のある悪質な行為であり、少なくとも本件就業規則69条12号所定の懲戒事由に該当するといわざるをえない。
   さらに、証拠(証人A、同E、被告代表者)及び弁論の全趣旨によれば、医事課職員を中心とした被告職員は、診療情報の改ざんが発覚した直後から、改ざんの発見、改ざんの証拠保全、データの復旧、行為者の特定に多大の労力を要したことが認められる。
   他方、上記のとおり、実際に本件改ざん⑱の不正な診療情報に基づき保険請求がなされたものの、速やかに同請求を取り下げたことにより、被告の信用失墜に至らずに済んだことが認められる。
 イ そうすると、原告の本件改ざん行為は、懲戒解雇事由に該当する悪質な行為であり、原告が19年余にわたり本件病院に勤務して積み上げてきた功労を減殺するものといえるものの、被告の信用失墜には至らなかったことを考慮すると、原告の功労を全部抹消するほどに重大な事由であるとまではいえない。
   そして、本件改ざん行為の性質、態様及び結果その他本件に顕れた一切の事情にかんがみると、被告は、原告に対し、本来の退職金の支給額の2分の1を支給すべきであったといえる。したがって、原告が被告に対し本来の退職金の支給額の2分の1を超えて退職金を請求することは、権利の濫用として許されない。
 ウ 本件退職金規定8条は、退職金の支払は、原則として一時払いとし、退職又は解雇の日から起算して3か月以内に支払うものと定めるから、原告の退職金の弁済期は、遅くとも平成27年2月27日までには到来した。

(4)不法行為の有無(争点4)
 ア 退職勧奨
   原告は、本人尋問において、「(平成26年10月24日、院長室で被告代表者らと30分ぐらい話をした際、)退職の話は出てなかったです。」,「(同日、帰宅した後、本件退職届を)一応いつでも渡せるようには書いておきました。」、「(同月27日、被告代表者から)俺が許しても理事会で許さんようなことを言われまして、手でこう、退職届をくれというふうに言われたんで、ああ、それなら、お渡ししますということで(本件退職届を)お渡ししました。」と供述している。とすれば、同供述によったとしても、本件退職届は、原告が自発的に作成したものであり、被告代表者に対して任意に提出されたものと認められる。よって、被告代表者が原告に対し違法な退職勧奨を行ったことは認められない。
 イ その他の不法行為(証拠のねつ造及び名誉棄損) 省略
 ウ 原告の不法行為に基づく損害賠償請求は、その余を検討するまでもなく理由がない。

(5)結論
   原告の各請求は、被告に対し、退職金請求に基づき254万3,150円及びこれに対する平成27年2月28日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を求める限度で理由がある(一部認容)。

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