退職後の競業避止義務を定める約定について、従前の雇用契約からの契約変更により業務委託契約が締結されるに至った経緯等のほか、競業避止義務の代替措置の内容等を検討した上で、上記の約定は、公序良俗に反し無効であると判示した事例(控訴後和解)
【事案の概要】
(1)原告は、美容室を営む株式会社である。
被告は、平成22年4月に原告との間で雇用契約を締結し、原告が経営する「A」(以下「本件店舗」という。)で働いていた美容師である。同雇用契約においては、被告が退職した後の競業避止義務に関する約定は存在しなかった。
(2)原告は、平成31年3月18日、この当時本件店舗で働いていた美容師全員を対象とする説明会(以下「本件説明会」という。)を実施した。
本件説明会では、原告から委託を受けた株式会社Bの担当者が、本件店舗の美容師に対して説明を行った。同社の担当者は、本件説明会に出席した美容師に対し、現在の雇用契約のまま社会保険に加入することとなると、実際に受け取れる給料の額が減ることとなるが、今回同社が考案した契約スキーム(注:詳細不明)を利用すれば、社会保険料の控除額を減額することができ、手取り額を増やすことができること等を説明した(注:原告は、当時、本件店舗で働いていた美容師との間でそれぞれ雇用契約を締結していたが、美容師を社会保険に加入させておらず、また時間外労働が生じた場合にも時間外手当を支払っていなかった。)。
(3)被告は、令和元年9月7日、合同会社C(注:原告代表者の意向に基づき設立された会社であり、同年(平成31年)4月1日に原告との間で締結した業務委託契約に基づき、本件店舗で働いていた美容師との間で下記の雇用契約を締結したものである。)との間で、以下の内容を含む雇用契約(以下「本件雇用契約」という。)を締結した。
ア 契約期間 平成31年4月1日からで、期間の定めはないものとする。
イ 従事する業務の内容 略
ウ 労働時間 フレックスタイム制を採用し、始業及び就業時刻は被告の決定に委ねるが、労働時間は1日3時間20分、1週間で20時間とし、所定時間外の労働時間はないものとする。
エ 賃金 月額8万円
(4)原告と被告は、令和元年10月3日、以下の内容を含む所属アーティスト契約(以下「本件アーティスト契約」という。以下では、本件雇用契約と本件アーティスト契約とを併せた契約スキームを「本件契約スキーム」ということがある。)を締結した。
ア 契約期間 平成31年4月1日から2年間(注:自動更新についての定めがある。)
イ 委託業務 略
ウ 報酬 略
エ 競業制限 被告は、契約期間中及び契約終了後2年間は、原告の本社及び営業所の所在地から半径5キロメートル以内(注:本件店舗が所在するa駅近郊だけでなく、その近隣のb駅近郊や、c、d、e所在の店舗の一部がこれに含まれる。)において、原告の許可なく、同業他社に就職し、同業他社からの業務を受託し、又は同業を開業してはならない(以下では、この約定を「本件約定」という。)。
オ 違約金 被告が上記エに違反した場合の違約金の額 300万円
なお、本件説明会が開催された当時本件店舗で働いていた美容師9名のうち、平成31年3月31日以前の雇用契約を継続した者はおらず、原告との間で、本件アーティスト契約と同様の契約を締結したか、原告を退職したかのいずれかであった。
また、遅くとも、本件訴訟において本人尋問が実施された令和5年3月16日までの間に、この9名の美容師は全員本件店舗を辞めた。
(5)被告は、令和元年11月頃、原告代表者に対し、本件アーティスト契約を終了させて、本件店舗を辞めたい旨を告げたが、原告代表者は、人手不足を理由にこれを認めなかった。
本件アーティスト契約は、令和2年12月31日をもって合意により終了した。
(6)被告は、令和3年1月6日頃から、東京都所在の「D」という店舗(注:原告本社から半径5キロメートル以内に所在する。)で、美容師として稼働した。
(7)原告は、本件訴えを提起して、被告が本件約定に違反した旨主張して、被告に対し、約定の違約金である300万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求めた。
【争点】
(1)本件アーティスト契約又は本件約定の有効性(争点1)
(2)原告の請求が信義則に反するものであるか否か(争点2)
以下、裁判所の判断の概要を示す。
【裁判所の判断】
(1)争点1(本件アーティスト契約又は本件約定の有効性)について
ア 判断枠組み
本件アーティスト契約においては、本件約定による競合避止義務が設けられているところ、原告と被告との間の当初の雇用契約においては、被告にそのような義務は課されておらず、被告が本件店舗で勤務するようになって9年以上が経過した時点で、原告から本件アーティスト契約締結の申入れがあり、被告がこれに応じたものである(これが被告の自由意思に基づくものであったか否かはとりあえず措く。)。
一般に、雇用契約においては、使用者と労働者の地位が必ずしも対等といえないことから、労働基準法その他の法律によって使用者の契約自由の原則に対する種々の制約が設けられていること等に照らせば、本件約定の有効性を検討するに当たっても、
・従前の雇用契約において労働者であった被告が契約変更を余儀なくされ、不当に競業避止義務を課されることとなっていないか否か(以下「観点1」という。)
・競業避止義務の代替措置が十分に採られているか否か(以下「観点2」という。)
を検討する必要があるものと考えられる。
イ 観点1についての検討
a)まず、本件雇用契約においては、契約締結日が令和元年9月7日であるにもかかわらず、契約期間の始期がそれ以前の平成31年4月1日となっており、本件アーティスト契約においても、契約締結日は令和元年10月3日であるにもかかわらず、契約期間の始期はそれ以前の平成31年4月1日からとなっているものである。
これらの事実は、原告代表者が従前から本件店舗で働いていた美容師に対して有無を言わせないという態度をとっており、また、アーティスト契約についても、本件店舗で働くためにはその締結が必須であり、その例外は認めないという態度をとっていたことを窺わせるものといえる。
b)また、原告においては、従前は本件店舗で働いていた美容師を社会保険に加入させておらず、かつ、時間外労働手当を支払っていなかったところ、原告が従前の雇用契約から本件契約スキームの採用を決断するに至ったのは、このような違法状態を解消することが主たる目的であったものと認められる。
このように、原告が本件契約スキームを採用することになった経緯等に照らしても、被告を含め、本件店舗で働いていた美容師において、アーティスト契約を締結するか、従前の雇用契約を維持するかの選択権が実質的に保障されていたとは考え難い。
c)これらの事実に加えて、
・本件雇用契約及び本件アーティスト契約のいずれにおいても、その契約期間の始期は本件説明会が開催された日の二週間後とされており、十分な検討期間が保障されていたとはおよそ言えないこと
・本件説明会が実施された当時本件店舗で働いていた美容師9名の中で、平成31年3月31日以前の雇用契約をその後も継続した者はおらず、かつ、前記美容師9名は本件訴訟において本人尋問が実施されるまでの間に全員が本件店舗を辞めていること
・被告は、令和元年11月頃には、原告代表者に対し、本件店舗を辞めたい旨を告げていたのに、原告代表者の意向により、被告の退職時期が令和2年12月末日までずれ込んでいること
も併せ考慮すれば、原告代表者は、被告を含む前記美容師9名に対し、本件店舗で引き続き働くためにはアーティスト契約(業務委託契約)への移行が必須であり、その例外は認めないという強い態度をとっており、このため、前記美容師9名には、事実上、原告が提示するアーティスト契約を受け容れるか、本件店舗を辞めるかの選択肢しか用意されておらず、従前の雇用契約を維持するという選択肢は認められなかったことが強く推認される。
d)以上の認定事実(本件アーティスト契約が締結されるに至った経緯等)に加えて、
・本件約定に基づく競業避止義務がその期間及び場所的範囲に照らし相当程度重い内容のものになっていること
を併せ考慮すれば、これに伴う代償措置の内容及びその程度を検討するまでもなく、本件約定は、公序良俗に反し無効であるというべきである。
ウ 観点2についての検討
なお、原告は、本件アーティスト契約には競業避止義務が設けられていたものの、十分な代償措置が執られていた旨主張するので、念のためこの点についても判断する。
a)本件全証拠によっても、本件アーティスト契約締結後に、被告の手取り額が増えたものとは認め難く、むしろ、被告が本件アーティスト契約締結直後に、原告代表者に対し、本件店舗を辞めたいと伝えており、最終的に、前記美容師9名全員が本件店舗を辞めていること等に照らすと、美容師にとっては、アーティスト契約への移行に伴うメリットがほとんど感じられなかったものと推認される。
b)また、原告は、上記手取り額の増加以外にも、被告に競業避止義務を課すことに対する代替措置として、
①被告が個人的に獲得した顧客については、被告に営業上の権利が帰属するとされ、移籍や独立するに当たり、顧客を移動することが許可されていたこと
②被告は、その業務を行うに当たり必要となる場所、機材、設備を自由に使用することができ、原告は、ホームページ等で被告の営業予定日を記載の上、宣伝や紹介を行っていたこと
③被告は、原告代表者から接客方法やカウンセリング技術等についてアドバイスを受けることができたこと
④被告が確定申告を行うに当たっても、原告が提供する確定申告のサポートを受けることができたこと
等を挙げる。
しかしながら、
①については、従前の雇用契約において、被告が移籍や独立をする場合に、被告が担当していた顧客の取扱いについて明確な定めがされていたことを認めるに足りる証拠はないところ、むしろ原告としては、これにより原告が獲得した顧客と被告が獲得した顧客を区別し、原告が獲得した顧客に対する禁止事項を設ける前提として、①のような規定を設けたものとも考えられるところであって(本件アーティスト契約書4条1項、19条6項以下参照)、本件約定のような重い義務を新たに課すことに対する代替措置として十分なものとは認め難い。
また、そもそも、本件約定に基づく競業避止義務の場所的範囲が広範なものとなっていることに照らすと、被告が移籍や独立をするに当たり、被告が獲得した顧客に関する営業の利益をそのまま維持することは実際上困難な場合が多いものと認められる。
次に、前記②ないし④の取扱いについては、業務委託契約に移行した後も、従前の雇用契約において当然に認められていた取扱いを引き続き認めるものに過ぎないか、あるいは、業務委託契約に移行したことによって新たに生じた負担について一定程度支援をするというものにとどまっており、従前の雇用契約から本件アーティスト契約への移行に伴い、新たに競業避止義務を課すことを正当化するものになり得るとは認め難い。
以上のとおり、代替措置に関する原告の主張も採用することはできない。
(2)結論
原告の請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がない(請求棄却)。
【コメント】
本裁判例は、退職後の競業避止義務(本件約定)を定める約定について、従前の雇用契約からの契約変更により業務委託契約(本件アーティスト契約)が締結されるに至った経緯等、競業避止義務の期間及び場所的範囲のほか、競業避止義務の代替措置の内容を検討した上で、本件約定は、公序良俗に反し無効であると判示した事例です。
本裁判例は、判断枠組みの一つとして、「従前の雇用契約において労働者であった被告が契約変更を余儀なくされ、不当に競業避止義務を課されることとなっていないか否か」を挙げている点に特徴があります。この点、原被告間の競業避止合意が被告の自由意思に基づくものでないと判断されたとすれば、実質的には上記の合意の成立自体を否認したものと評価し得ると思われます。
“【民事】東京地裁令和5年6月15日判決(判例タイムズ1527号229頁)” への1件の返信
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