【交通事故】神戸地裁令和5年3月30日判決(自保ジャーナル2157号167頁)

本件事故発生当時、脳梗塞の発生等が生じる危険性を有していた被保険者の法定相続人による人身傷害保険金等の請求で、本件事故発生時にジャックナイフ現象が生じたことを示唆するなどして、被保険者の脳疾患等の疾病又は重大な過失による免責を否認した事例(確定)


【事案の概要】

(1)交通事故(以下「本件事故」という。)の発生
 ア 発生日時 平成30年5月23日午前10時22
 イ 発生場所 神戸市内C線下り(以下「本件道路」という。)○㎞ポストあたり(以下「本件現場」という。)
   なお、本件道路は、東行2車線の自動車専用道路で、本件事故現場の手前から右にカーブしており、進行方向に向かって、4.1度の緩やかな上りとなっている。本件道路の両端には、道路壁面が設けられている。
 ウ 関係車両 有限会社B(以下「訴外会社」という。)が所有し、太郎の運転する大型貨物自動車(以下「本件車両」という。)
 エ 事故態様 以下のとおりである。
 a) 太郎は、訴外会社における運送業務のため、本件車両を運転し、本件道路の右側車線を時速80㎞程度の速度で走行していた。
 b)本件車両が、本件現場に差し掛かった際、本件車両のヘッド部分トラクタ部分)が右方向に鋭角に曲がり(なお、その時点で、トレーラー部分左方向を向いた状態で、車体が「く」の字を描くような状態となった。)、そのまま本件道路の右側壁面に衝突して右側側壁面に接触した状態で進行した。
 c)その後、本件車両は、さらに左方向に進路を変えて、左側壁面に衝突し、そのまま接触しながら進行し、左側面を左側壁面に接触させた状態で停止した。
 d)本件車両のトラクタ部分が右方向に曲がってから、右側壁面に衝突するまでの走行距離は約9.8mであり、右側壁面には、約17.7mにわたって擦過痕が生じ、左側壁面には、右側壁面の擦過痕の先端から約23.6m先の地点から約63.5mにわたって擦過痕等が生じた。
 e)本件道路上にブレーキ痕は認められない

(2)当事者等
  a)原告と太郎は、平成22年頃から、原告の母と原告の娘(当時高校生)との4人での共同生活を開始し(なお、本件事故当時は、原告の母との3人暮らしとなっていた。)、家計を共にして、太郎が死亡するまで、事実上の夫婦としての生活を継続していた。
     原告は、平成30年5月23、原告と太郎が同日以前に作成していた婚姻届(以下「本件婚姻届」という。)をa市役所に提出することにより、婚姻の届出をした(受付時刻午後3時52)。
  c)被告は、損害保険業等を目的とする株式会社である。
   本件事故当時、訴外会社は、被告との間で、人身傷害保険(注:上限5,000万円)、搭乗者傷害(入通院/日数)特約(注:入院1日につき1万円、通院1日につき5,000円)を含む一般自動車総合保険契約(以下「本件保険契約」といい、同契約に適用される普通保険約款を「本件約款」という。)を締結していた。
   本件約款には、以下の内容の条項がある。
 ア 人身傷害保険
  a)この人身傷害条項における保険金請求権者は、人身傷害事故によって損害を被った次のいずれかに該当する者とする。
  ①被保険者(被保険者が死亡した場合は、その法定相続人)。
  ②被保険者の父母、配偶者又は子
  b)次のいずれかに該当する事由によって生じた損害については、人身傷害保険金を支払わない。
  ①被保険者の故意又は重大な過失によって、その本人に生じた傷害による損害
  ②被保険者の脳疾患、疾病又は心神喪失によって、その本人に生じた傷害による損害
 イ 傷害に関する特約(搭乗者傷害特約) 略

(3)太郎の治療経過等
 ア 太郎は、本件事故により、外傷性くも膜下出血、肝損傷及び肋骨多発骨折等の傷害を負い、事故当日、E病院に緊急搬送され、同月26日まで、同病院にて入院治療を受けた。
 イ 太郎は、本件事故後、意識を回復することなく平成30年5月26、本件事故による重症頭部外傷直接の死因として死亡した(当時67)。
   なお、直接には死因に関係しないが傷病経過に影響を及ぼしたものとして、多発肋骨骨折、肺挫傷、肝損傷が挙げられている。

(4)本件事故前の太郎の治療経過等
 ア F病院
  a)太郎は、平成29年5月11、MRI検査等の結果、脳梗塞(病型:ATI[BAD]、症状:構音障害>右上下肢不全高麻痺、部位)左淡蒼球)と診断され、即日入院となった。
  b)太郎は、F病院に、平成29年5月31日まで入院し、その間、主に点滴、投薬治療が行われた。
   同月18日に行われた、太郎と原告ら家族に対する病状等の説明において、主治医は、
  ・病変部位によって、軽度の注意障害や、反応低下をきたしており、同時点においても、軽度の理解や記銘力の低下が見られ、退院後、後遺症状が残存する可能性が高いこと
  ・日常生活はそれほど介護を必要としないかもしれないが、車の運転は危険で、主治医としては運転を許可することができないこと
  ・糖尿病全身性の動脈硬化などがあり、全身の血管が相当痛んでいるので、定期的な通院と内服治療が必要であること
などを伝えた。
   これに対し、原告は、「仕事復帰してもらわないと生活が成り立たない。通院も検査などでお金がかかるのは難しい。」などと訴えた。
  c)太郎の主治医(神経内科)は、平成29年6月28日付の公安委員会提出用診断書(以下「本件診断書」という。)において、太郎の脳梗塞について、症状が再発するおそれは否定できず、現時点では運転を控えるべきと思われるが、3ヶ月以内に、「運転を控えるべきとはいえない」との診断ができることが見込まれると診断した。
  d)J県警察本部長は、本件診断書の提出を踏まえて、同年8月7日付で、同日から同年9月25日までの50日間、運転免許の効力を停止する処分を行った。
 イ Gクリニック
  a)太郎は、平成29年9月16日、脳梗塞(後遺症)として、Gクリニックを受診し、丁山医師の診察を受けた。太郎は、問診の際、脳梗塞を発症したが次第に回復し、発症前と全く変わりなくなった旨説明し、付き添った原告と原告の娘も同意見を述べた。また、太郎らは、早く運転を再開したい旨丁山医師に伝えた。
  b)太郎は、脳MRI検査のために、丁山医師の紹介により、平成29年9月19日、Hクリニックを受診した。Hクリニックの医師は、脳MRIの検査の結果について、丁山医師に対し、「脳幹から基底核~境界域には多発性の梗塞があり、さらに拡散強調でも新たな梗塞が発生しています。基底核の動脈硬化が強く、穿通枝中心の動脈硬化が高度に進行しています。」「脳血管では頸部血管起始部も含め主幹動脈には病的信号もなく、血流信号も良好で、動脈瘤や狭窄はありませんでした。」と報告した。
  c)丁山医師は、平成29年9月20日付の公安委員会提出用診断書(以下「丁山診断書」という。)において、太郎の脳梗塞(後遺症)について、「入院加療により症状は改善し日常生活では支障はなくなった。」とし、「脳梗塞にかかっているが症状が再発するおそれの観点から、運転を控えるべきとはいえない。」と診断した。
  d)丁山診断書の提出を受けて、J県警察本部長は、太郎の運転免許の効力停止等の処分を行わないこととした。
  e)太郎は、平成30年5月18日まで、月に1ないし2回程度の頻度で、Gクリニックに通院し、主に、投薬治療を受けた。
 ウ 太郎の事故前の稼働状況
   太郎は、運転免許の効力停止期間の経過後、トラックの運転手としての稼働を再開した。太郎が具体的にいつ稼働を再開したかは不明であるが、平成30年2月には18日、同年3月には22日、同年4月には20日稼働しており、本件事故発生前の3ヶ月には、いわゆるフルタイムで稼働するに至っていたと認められる。

(5)請求
   原告は、本件訴えを提起して、被告(保険者)に対し、本件保険契約に基づく人身傷害保険金等として4,627万3,630円及びこれに対する遅延損害金の支払を求めた。


【争点】

(1)本件事故が太郎の脳疾患等の疾病又は重大な過失によるものとして免責されるか
 ア 脳疾患等の疾病によるものか否か(争点1-1)
 イ 原告ないし太郎の重過失の有無(争点1-2)
(2)原告と太郎の婚姻の有効性―婚姻時の太郎の婚姻の意思の有無等(争点2)
   以下、裁判所の判断の概要を示す。


【裁判所の判断】

(1)争点1-1(脳疾患等の疾病によるものか否か)について

 ア 被告の主張
   被告は、事故態様の異常性を指摘した上で、本件事故発生当時の太郎の症状を踏まえると、本件事故は、太郎の脳疾患等による心神喪失により生じたものであると主張する。
 イ 検討
  a)本件事故発生当時の太郎の病状について
  ・太郎は、本件事故の約1年前に当たる平成29年5月1日に脳梗塞によりF病院に入院し、同月31日には、状態が安定して、病状についてもある程度のコントロールがついたとして自宅退院となった。
  ・太郎は、入院期間中から、治療によっても新たな梗塞再発等による病状の悪化の危険性があること、症状は残存する可能性が高いこと、未治療の糖尿病や全身性の強い動脈硬化性変化といったリスク要因を有していることなどが指摘されていた。
  ・同年9月19日に、Hクリニックにおいて行われた脳MRI検査においても、新たな梗塞の発生や高度の動脈硬化が指摘されるなどしていた。
   したがって、太郎は、治療等の硬化により、日常生活自体は支障なく行えるようにまでは回復はしていたものの、本件事故発生当時においても、なお症状の悪化や新たな脳梗塞の発生等が生じる一定の危険性を有している状況にあったものと考えられる。
   もっとも、太郎の直接の死因は重症頭部外傷であるところ、本件事故後に救急搬送されたE病院での診断内容からは、太郎が本件事故発生時に、脳疾患等による心神喪失(これに至らない程度の意識障害を含む)に至っていたかは明らかでなく、本件記録から明らかな太郎の病状の経過等からは、本件事故が太郎の脳疾患等による心神喪失により生じたものと直ちに認めることはできない
  b)本件事故態様の異常性について
   本件車両は、トラクタ部分が右方向に鋭角に曲がった後、一旦、本件道路の右側壁面に衝突してそのまま約17.7m進行し、さらに左方向に進路を変えて左側壁面に衝突して、そのまま接触しながら約63.5m進行した地点で停止しており(なお、右方向に曲がってから停止するまでの距離は約115mである。)、その間、本件車両の制動が効いている様子がほとんどみられないことによれば、被告が主張するように、本件事故発生時に太郎の意識に障害が生じていたとしても事故態様として矛盾はしないということはできる。
   もっとも、原告が主張するように、
  ・本件事故当時、本件現場は雨が降って路面が濡れていたこと
  ・本件車両が時速約80km程度という制限速度を超える高速度で進行していたこと
  ・本件車両のタイヤがノーマルタイヤに比べて雨天時のグリップ力が高くないため、ハイドロプレーニング現象(濡れた路面を高速度で走行した際にタイヤと路面との間に水膜ができることによって、ハンドルやブレーキがコントロールできなくなる現象)が発生しやすいと言われているスタッドレスタイヤであったこと
を踏まえると、手前付近から右にカーブをしている本件現場に差し掛かり、太郎がハンドルを右に切った際に、濡れた路面でスリップしたことによって本件事故が生じた可能性があることも否定することはできない。
   また、
  ・本件事故発生時、本件車両のトラクタ部分が鋭角に曲がって、左方向を向いていたトレーラー部分とで「く」の字を描くような状態となったこと
に照らすと、太郎が、制限速度を超える速度で、本件現場付近の右カーブに差し掛かり、ハンドルを右に切りつつ減速をしようとした際に、その制動を誤って、いわゆるジャックナイフ現象(トラクタ部分が旋回をしても、トレーラー部分が慣性の法則によって直進しようとすることで、質量の大きいトレーラーの進行方向へ車体全体が引っ張られて、制御が不能となる現象)が生じたことも考えられる。
   この点、被告は、ジャックナイフ現象が生じていたならば、車体はトレーラー部分の進行方向である左側に引っ張られるので、トラクタ部分が右側面に衝突してから、17.7mもの擦過痕を発生することは考えられない等と主張して、かかる現象の発生の可能性を否定する。
   しかしながら、ジャックナイフ現象が生じた場合の車体の軌跡としては、車体全体はトレーラー部分の進行方向(本件でいうと左方向)に向かいながら、トラクタ部分はハンドルを切った方向(本件でいうと右方向)への旋回を強制されることとなるものであり、右方向への旋回を強制された状態で、左方向へと車体全体が引っ張られることで、当初、右側壁面にトラクタ部分が接触した状態である程度進行するということも考えられないものではない。また、最終的に車体全体が左方向に進行し、左側壁面に衝突するに至っているという点も踏まえると、本件事故発生時いわゆるジャックナイフ現象が生じた可能性もあるというべきである。
  c)小括
   本件事故が太郎の脳疾患等の疾病によるものとは認められない。

(2)争点1-2(原告ないし太郎の重過失の有無)について
 ア 被告の主張
   被告は、原告と太郎が、太郎が運転不能な状況であることを認識していたにもかかわらず、太郎がトラックの運転業務に復職しなければ経済的に極めて困窮することから、敢えて太郎の運転継続を選択し、その結果、本件事故を生じさせたとして、重過失の主張をする。
 イ 検討
  a)太郎については、
  ・F病院の主治医が、平成29年6月28日付けで「注意力低下などの高次脳機能障害」が残存しているとして「運転を控えるべき」との診断をしていること
  ・同医師が、被告からの問合せに対し、同年9月6日意向に診察をしていないので精確なところは分らないとしつつも、本件事故当時も運転を控えるべき状況にあったと考えられる旨回答していること
を踏まえると、太郎が本件事故当時においても、脳梗塞の後遺症等の影響により、運転をするには望ましいとは言えない状態であったと考えられる。
   また、太郎と原告は、上記診断に至る経緯や病状説明によって、F病院の主治医が、太郎による運転の継続について厳しい見方をしていることは当然に認識していた。
  b)もっとも、太郎については、丁山医師が、同月20日付の丁山診断書において、運転を控えるべきとはいえないと診断し、その結果、太郎について、さらに運転免許の効力停止等の処分がされることのなかったものである。
   したがって、太郎や原告が、かかる診断を信じて、運転を控えなければならないほどの深刻な病状には至っていないと認識することは十分に考えられる
  c)被告は、太郎と原告が、丁山医師に太郎の症状について敢えて虚偽の申告をしたものであるとも主張する。
   しかしながら、
  ・太郎と原告は、本件診断書を丁山医師に提出して、F病院の主治医から運転を控えるべきとの診断をされたことを伝えた上で診断を受けていること
  ・本件事故発生当時、太郎は、運転業務に復職し、いわゆるフルタイムの稼働を再開してから少なくとも3ヶ月が経過しているところ、その間、特段、運転に支障が生じるような事情が発生したことは窺えないこと
を踏まえると、原告及び太郎が、本件事故当時、太郎の運転について、控えるべきほどの問題があるものではないと認識するに至ることも十分に考えられる
  d)これらの事情によれば、原告及び太郎が、本件事故発生当時、太郎が運転不能な状態であることを認識していたにもかかわらず、太郎の運転継続を選択したために本件事故が生じたと認めることはできない
  e)小括
   本件事故が原告ないし太郎の重大な過失によるものとは認められない。
 ウ 争点1についての小括
   被告は、人身傷害保険金及び搭乗者傷害特約に基づく医療保険金の支払を免責されない。

(3)争点2(原告と太郎の婚姻の有効性―婚姻時の太郎の意思の有無等)について
 ア 事実上の夫婦共同生活関係にある者が、婚姻意思を有し、その意思に基づいて婚姻の届出を作成したときは、届出の受理された当時意識を失っていたとしても、その受理前に翻意したなどの特段の事情がない限り、右届出の受理によって、婚姻は有効に成立したものと解すべきである(最高裁昭和44年4月3日判決等参照)。
 イ この点、本件婚姻届の作成日は必ずしも明らかではなく、作成後、一定の期間、提出されないままに保管されていた可能性があることは否定できない。
   しかしながら、
  ・原告と太郎は、平成22年頃に同居を開始して以降、事実上の夫婦として共同生活を送ってきたものであり、かかる状態のもとで太郎が婚姻届を作成した以上、本件婚姻届を作成した時点において、太郎は原告との婚姻意思(届出意思)を有していたと認めることが相当であり、また、
  ・太郎が平成29年5月に脳梗塞で入院し、退院後も直ちに復職をすることが叶わない身体状況となった後も本件事故により太郎が死亡するに至るまで、原告の支えのもとで、変わらずに事実上の夫婦としての生活を継続していたことに照らすと、
   本件婚姻届の作成後、一定の期間、届出をせずに保管していたことのみをもって、太郎が本件事故により意識を失うまでの間に、婚姻の意思を翻意するに至っていたと推認できるものではない
 ウ 仮に、本件婚姻届が平成29年以前に作成されていたものであっても、思いがけず脳梗塞を発症したことから一旦提出を留保し、状況が落ち着いた頃に提出しようと考えることは十分にあり得るものである。
   そして、本件事故発生当時、太郎は平成29年5月に発症した脳梗塞からある程度身体状況が回復し、仕事にも復帰して一定期間が経過し、日常生活が安定しつつあったことを踏まえると、留保していた婚姻の届出を行おうとしていた時期として、合理的なものということができるのであって、原告による本件婚姻届の提出は太郎の意思にも沿うものと推認することができる
 エ これらの事情によれば、本件婚姻届が受理されたことによって、原告と太郎の婚姻は有効に成立したと認めることが相当である。
   なお、原告は、証拠(略)によれば、太郎の唯一の法定相続人と認められる。

(4)結論
   原告の請求は、2,832万5,673円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で理由がある(一部認容)。


【コメント】

   本裁判例は、本件事故発生当時、脳梗塞の発生等が生じる危険性を有していた被保険者の法定相続人による人身傷害保険金等の請求で、被保険者の脳疾患等の疾病又は重大な過失による免責を否認した事例です。
   本裁判例は、本件事故後に救急搬送されたE病院での診断内容からは、太郎が本件事故発生時に、脳疾患等による心神喪失等に至っていたかは明らかでないことを指摘するほか、本件事故発生時いわゆるジャックナイフ現象が生じた可能性も認定して、被保険者の脳疾患等の疾病による免責を否認しています。

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