原告が罹患していたアルツハイマー型認知症は進行性の病変であり、その進行・悪化と本件事故との因果関係を肯定するには、本件事故の受傷を原因として、原告の認知症が通常の経過(自然的経過)での進行・悪化よりも急速に進行・悪化した事実が必要と判示した上で、本件事故と原告の認知症の進行・悪化との間に因果関係を否認した事例(控訴後和解)
【事案の概要】
(1)交通事故(以下「本件事故」という。)の発生
ア 発生日時 平成29年6月6日午前11時頃
イ 発生場所 三重県四日市市B自動車道下りaサービスエリア駐車場(以下「本件駐車場」という。)
ウ 加害車両 被告の運転する自家用普通乗用自動車(以下「被告車両」という。)
エ 被害者 原告(歩行者。本件事故当時88歳の女性)
オ 事故態様 本件駐車場・通路から駐車枠に向かい後退進行していた被告車両が、同車両後方を歩行中の原告に衝突した。
(2)原告の治療経過
原告は、本件事故により、右脛骨腓骨骨折、左第1-5中足骨骨折、左右リスフラン関節脱臼骨折、左下腿皮膚壊死、右下腿皮膚欠損、左膝関節挫創、両足部挫創及び頸部挫創の傷害を負い、次のとおり治療を受け(入院日数144日)、同傷害部分は、平成29年11月30日に症状固定に至った。
ア C病院
入院:平成29年6月6日~同月16日(11日)
イ D病院
入院:平成29年6月16日~同年8月18日(64日)
通院:平成29年11月30日(実日数1日)
ウ E病院
入院:平成29年8月18日~同年10月27日(71日)
(3)本件事故前の原告の治療経過(認知症)等
ア 原告は、Fクリニックにて、平成23年1月25日を治療開始日として、脳梗塞後遺症、脳梗塞等の治療を開始し、同年8月30日を治療開始日として、アルツハイマー型認知症の治療を開始した(同クリニックの診療録)。
平成23年1月25日に実施された改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDSR)の成績は、30点中19.5点であった。
平成24年2月14日に実施された改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDSR)の成績は、30点中18.5点であった。
イ 原告の介護認定状況は、以下のとおりである。
a)認定日 平成24年3月16日
認定区分 要介護1
有効期間 平成24年2月15日~同年8月31日
b)認定日 平成24年8月29日
認定区分 要介護1
有効期間 平成24年9月1日~平成26年8月31日
ウ 平成25年1月29日に実施された改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDSR)の成績は、30点中17点であった。
平成26年1月21日に実施された改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDSR)の成績は、30点中17点であった。
エ 原告は、平成26年10月28日にFクリニックにて撮影されたCT画像上、前頭葉萎縮が認められた。
同クリニックの平成27年9月8日の診療録には、「CT撮影の根拠:認知機能が予想より早く悪化したため」との記載がある。
オ Fクリニックの平成30年12月4日付け「照会・回答書」には、同クリニックにおける初診(平成23年1月)から本件事故直前の受診日までの原告の症状に関し、「アルツハイマー病のようにどんどん悪化するということはなくSDNFT(神経原線維変化型老年期認知症)を思わせるおだやかな進行だった」と記載されている。
(4)本件事故後の原告の治療経過(認知症)等
ア 平成30年4月24日に実施された改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDSR)の成績は、30点中11点であった。
イ Fクリニックが、令和元年8月2日付けで作成した「照会書(兼回答書)」には、要旨、以下の記載がある。
a)初診時から平成30年4月24日までの原告の認知に関する症状の推移(改訂長谷川式簡易知能評価スケール(30点満点))
平成23年1月25日 19.5点 −
平成24年2月14日 18.5点 |年間−0.83点
平成26年1月21日 17点 −
|年間−1.41点
平成30年4月24日 11点 –
b)原告の認知症状の推移について、(本件事故による)入院を原因として通常以上の進行・悪化をしたと医学的に断定することは困難であるが、可能性はあり、その可能性は高い。
理由:高齢者は廃用性に認知機能を低下させやすい。そもそも保険薬はそれほど効くものではなく、薬を休んでいたからといって急に悪化が早くなることは少ない。始めの3年は0.83点ずつ(年間)落ちていたが、事故後は1.41点と早くなった。
c)一般に4ヶ月の入院というのはかなり長く通常以上に(認知症状が)悪化することは普通にあり得る。
ウ Fクリニックが、令和元年12月2日付けで発行した後遺障害診断書には、要旨、以下の記載がある。
a)症状固定日:不明
b)傷病名:今回については不明
c)既存障害:今回事故以前の精神障害:有 神経原線維変化型老年期認知症
d)精神・神経の障害、他覚症状及び検査結果:改訂長谷川式スケール 11
e)障害内容の増悪・寛解の見通し等:事故による障害の新規発生か否かは判断できない。平成28年5月12日に比べると表情が乏しいが、元々の認知症でもそうなると考えられる。
エ Fクリニックが、令和元年12月2日付けで作成した「神経系統の障害に関する医学的意見書(症状固定時)」と題する文書には、「もともとは進行の遅い認知症であったが最後は4年のインターバルで−6点となった。インターバルが長かったので−6点となったのか事故の影響でおちたのかはわからない」との記載がある。
オ 原告は、令和2年12月1日。H家庭裁判所において後見開始の審判を受けた。
(5)後遺障害等級認定の経過
ア 1回目(平成31年2月19日までに認定)
右下肢の痛みについて14級9号、左下肢の痛みについて14級9号の、併合14級
イ 2回目(令和2年2月25日までに認定)
a)現存障害
長期にわたる入院治療や原告の年齢、本件事故前からの治療状況等を勘案すると、本件事故外傷によって本件事故前からの認知症による症状が増悪したものと捉えられる。
その障害程度は、「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」として、5級2号
b)既存障害
本件事故前の神経系統の機能又は精神の障害について、後遺障害診断書上、既存障害として「神経原線維変化型老年期認知症」の記載が認められること、平成26年1月21日実施の長谷川式スケールは17点とされていること等から、「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」として、9級10号
ウ 3回目(令和2年8月7日まで)
本件事故前の神経系統の機能又は精神の障害(既存障害)について、本件事故前の頭部画像上、本件事故前から既に脳萎縮の進行が認められていること等から、「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」として、9級10号
(6)原告は、本件訴えを提起して、本件事故による入院治療が長期間に及んだことにより認知症の症状が著しく悪化したものであり、既存障害のない5級2号の後遺障害が残存しているなどと主張して、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償請求として、2、533万9、399円及びこれに対する遅延損害金の支払を求めた。
【争点】
(1)事故態様及び過失割合(争点1)
(2)原告の認知症の進行・悪化と本件事故の因果関係の有無(原告の後遺障害の程度を含む。)(争点2)
(3)原告の損害額(争点3)
以下、裁判所の判断の概要を示す。
【裁判所の判断】
(1)争点1(事故態様及び過失割合)について
本件事故は、駐車場道路上での四輪車と歩行者との事故であり、基本的な過失割合は原告(10%)、被告(四輪車)(90%)と認められる。
そして、本件事故当時、原告は88歳であったから、いわゆる高齢者に該当し、原告の過失割合を5%減算するのが相当であり、本件事故の過失割合は、原告5%、被告95%と認められる。
(2)争点2(原告の認知症の進行・悪化と本件事故の因果関係の有無(原告の後遺障害の程度を含む。))について
ア 原告は、平成23年1月25日を治療開始日として、脳梗塞後遺症、脳梗塞等の治療を開始し、同年8月30日を治療開始日として、アルツハイマー型認知症の治療が開始され、その後、改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDSR)の成績は、低下の傾向にあったと認められるから、原告が罹患していたアルツハイマー型認知症は進行性の病変といえ、その進行・悪化と本件事故との因果関係を肯定するには、本件事故の受傷を原因として、原告の認知症が通常の経過(自然的経過)での進行・悪化よりも急速に進行・悪化した事実が必要である。
イ 原告の改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDSR)の成績は、30点中、
・平成23年1月25日 19.5点 −
・平成24年2月14日 18.5点
・平成25年1月29日 17点
と推移していったことが認められ、平成23年1月から平成25年1月までは1年につき1.25点(計算式:(19.5点-17点)÷2年=1.25点)低下していたことが認められる。
その後、原告の改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDSR)の成績は、30点中、
・平成26年1月21日 17点
であったが、その後しばらく検査が行われず、再度改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDSR)で検査が行われたのは、本件事故後であり
・平成30年4月24日 11点
であったことが認められる。
これによれば、平成25年1月から平成30年4月までの約5年間は、1年につき1.2点(計算式:(17点-11点)÷5年=1.2点)低下したことになる(上記のとおり、平成26年1月21日には平成25年1月29日と同じ30点中17点であり、これがその後平成30年4月24日までいかなる割合で低下していったのかは証拠上明らかではない。もっとも、Fクリニックの(本件事故前である)平成27年9月8日の診療録には、「CT撮影の根拠:認知機能が予想より早く悪化したため」との記載があることから、同日頃に原告の認知機能にみるべき低下があったことは窺える。)。
ウ 原告が最初に改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDSR)での検査を行った平成23年1月25日から平成30年4月24日に同検査を行った時点までの成績は、1年につき約1.21点(計算式:(19.5点-11点)÷7年≒1.21点)の割合で低下していったことが認められるといころ、上記のとおり、当初2年(平成23年1月から平成25年1月まで)の低下割合(1年につき1.25点)の方が(本件事故時を含む)その後5年間の低下割合(1年につき1.2点)よりも大きいから、本件事故時を含む後者の5年間の間に、原告の認知症が通常の経過(自然的経過)での進行・悪化よりも急速に進行・悪化したということはできない(注:別紙「HDSR推移一覧表」参照)。
エ これに加えて、
・Fクリニックが、令和元年12月2日付けで発行した後遺障害診断書に、障害内容の増悪・寛解の見通し等として、事故による障害の新規発生か否かは判断できない、平成28年5月12日に比べると表情が乏しいが、元々の認知症でもそうなると考えられるとの記載があること
・Fクリニックが、令和元年12月2日付けで作成した「神経系統の障害に関する医学的意見書(症状固定時)」と題する文書に、「もともとは進行の遅い認知症であったが最後は4年のインターバルで−6点となった。インターバルが長かったので−6点となったのか事故の影響でおちたのかはわからない」との記載があること
等を踏まえると、本件事故の受傷を原因として、原告の認知症が、通常の経過(自然的経過)での進行・悪化よりも急速に進行・悪化した事実を認めることはできないといわざるを得ない。
オ Fクリニックが、令和元年8月2日付けで作成した「照会書(兼回答書)」は、初診時から平成30年4月24日までの原稿の認知に関する症状の推移として、平成23年1月25日(19.5点)から平成26年1月21日(17点)までを3年として年間-0.83点という数値を算出しているところ、原告は平成25年1月29日の時点で既に17点まで認知機能が低下していたことが認められるから、上記の年間-0.83点という数値は、その前提において誤っているといわざるを得ない(平成25年1月29日までの認知機能の年間低下は、前記イのとおり1.25点である。)。
また、事故後に(年間)1.41点低下しているとする点も、(本件事故前である)平成26年1月21日以降の期間を対象としている点で既に「事故後」の推移ということはできず、さらに本件事故日を含む期間として計算するとしても、同日を始点とするのは相当ではなく、上記のとおり17点まで低下した最初の時点である平成25年1月29日を始点として計算すべきであり(同日から平成30年4月24日までの年間低下割合は、前記イのとおり1.2点である。)、この点においても不合理である。
したがって、同「照会書(兼回答書)」は、その理由とするところが合理的でない。
(3)争点3(原告の損害額)について
ア 治療費、通院交通費、後遺障害診断書作成料、入院付添費及び傷害慰謝料 略
イ 将来介護費
前記(2)のとおり、本件事故の受傷を原因として、原告の認知症が、通常の経過(自然的経過)での進行・悪化よりも急速に進行・悪化した事実を認めることはできないから、本件事故と原告の認知症の進行・悪化との間に因果関係を認めることはできず、これを前提とする将来介護費は因果関係のある損害とは認められない。
ウ 後遺障害慰謝料 前記イと同様
エ 成年後見申立費用 前記イと同様
オ 小計 10,333,267円
カ 過失相殺(5%)後の残額 9,816,604円
キ 被告側任意保険既払額 6,625,067円
前記カの損害額9,816,604円からの控除後の残額は3,191,537円である。
ク 自賠責保険金の充当
原告は、自賠責保険金として、①平成31年2月21日、710,000円の、②令和2年2月27日、6,240,000円の支払を受けた。
前記①の遅延損害金は273,685円であり、同遅延損害金充当後の自賠責保険金残高436,315円が損害元本3,191,537円から控除され、控除後の損害額は2,755,222円である。
前記②の遅延損害金は140,026円であり、同遅延損害金充当後の自賠責保険金残高6,099,974円が損害元本2,755,222円から控除される結果、損害額はその全額が填補されていることとなる。
(4)結論
原告の請求は理由がない(請求棄却)。
【コメント】
本裁判例は、アルツハイマー型認知症を含む進行性の病変について、その進行・悪化と本件事故との因果関係を肯定するには、本件事故の受傷を原因として、原告の認知症が通常の経過(自然的経過)での進行・悪化よりも急速に進行・悪化した事実が必要との一般論を示した上で、本件事故と原告の認知症の進行・悪化との間に因果関係を否認した事例です。
原告は、平成26年1月21日に改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDSR)の検査(17点)を行ってから本件事故日(平成29年6月6日)まで、同検査を行っておらず、この間、原告の認知機能がいかなる割合で低下していったのかは不明です。そのため、平成30年4月24日に行われた同検査の結果(11点)から、原告の認知症が通常の経過(自然的経過)での進行・悪化よりも急速に進行・悪化した事実を立証することは困難であったと思われます。