【労働】最高裁令和5年7月11日判決(労働判例1297号68頁)

性同一性障害である職員による、同人の勤務する部署の執務室のある階とその上下の階の女性トイレの使用を認めず、それ以外の階の女性トイレの使用を認める旨の処遇の見直しを求める要求を認めなかった人事院の判定は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となる旨判示した事例(一部破棄自判)


【事案の概要】

(1)上告人(第1審原告)は、一般職の国家公務員であり、性同一性障害である旨の診断を受けている者である。
   被上告人(第1審被告)は、国(人事院)である。

(2)上告人は、平成○年4月、○○として採用され、同16年5月以降、経済産業省の同一の部署で勤務している。
   上記部署の執務室のある庁舎(以下「本件庁舎」という。)には、男女別のトイレが各階に3か所ずつ設置されている。なお、男女共用の多目的トイレは、上記執務室がある階(以下「本件執務階」という。)には設置されていないが、それ以外の複数の階に設置されている。

(3)上告人は、生物学的な性別は男性であるが、幼少の頃からこのことに強い違和感を抱いていた。
   上告人は、平成10年頃から女性ホルモンの投与を受けるようになり、同11年頃には性同一性障害である旨の医師の診断を受けた。
   そして、上告人は、平成22年3月頃までには、血液中における男性ホルモンの量が同年代の男性の基準値の下限を大きく下回っており、性衝動に基づく性暴力の可能性が低いと判断される旨の医師の診断を受けていた。
   なお、上告人は、健康上の理由から性別適合手術を受けていない。

(4)上告人は、平成21年7月、上司に対し、自らの性同一性障害について伝え、同年10月、経済産業省の担当職員に対し、女性の服装での勤務や女性トイレの使用等についての要望を伝えた。
   これらを受け、平成22年7月14、経済産業省において、上告人の了承を得て、上告人が執務する部署の職員に対し、上告人の性同一性障害について説明する会(以下「本件説明会」という。)が開かれた。担当職員は、本件説明会において、上告人が退席した後、上告人が本件庁舎の女性トイレを使用することについて意見を求めたところ、本件執務階の女性トイレを使用することについては、数名の女性職員がその態度から違和感を抱いているように見えた。そこで、担当職員は、上告人が本件執務階の一つ上の階の女性トイレを使用することについて意見を求めたところ、女性職員1名が日常的に当該女性トイレをも使用している旨を述べた。
   本件説明会におけるやり取りを踏まえ、経済産業省において、上告人に対し、本件庁舎のうち本件執務階とその上下の階の女性トイレの使用を認めず、それ以外の階の女性トイレの使用を認める旨の処遇(以下「本件処遇」という。)を実施することとされた。

(5)上告人は、本件説明会の翌週から女性の服装等で勤務し、主に本件執務階から2階離れた階の女性トイレを使用するようになったが、それにより他の階の職員との間でトラブルが生じたことはない。
   また、上告人は、平成23年○月、家庭裁判所の許可を得て名を現在のものに変更し、同年6月からは、職場においてその名を使用するようになった。

(6)上告人は、平成25年12月27日付けで、国家公務員法86条の規定(注)により、人事院に対し、職場の女性トイレを自由に使用させることを含め、原則として女性職員と同等の処遇を行うこと等を内容とする行政措置の要求をした。
   これに対し、人事院は、同27年5月29日付けで、いずれの要求も認められない旨の判定(以下「本件判定」という。また、本件判定のうち上記のトイレの使用に係る要求に関する部分を「本件判定部分」という。)をした。

 注)国家公務員法86条は、職員は、俸給、給料その他あらゆる勤務条件に関し、人事院に対して、人事院若しくは内閣総理大臣又はその職員の所轄庁の長により、適当な行政上の措置が行われることを要求することができる旨を規定する。
   同法87条は、上記の要求があったときは、人事院は、必要と認める調査、口頭審理その他の事実調査を行い、一般国民及び関係者に公平なように、かつ、職員の能率を発揮し、及び増進する見地において、事案を判定しなければならない旨を規定する。

(7)上告人は、本件訴えを提起して、被上告人を相手に、本件判定の取消し等を求めた。

(8)原審(東京高裁令和3年5月27日判決・労働判例1254号5頁)は、要旨次のとおり判断し、本件判定部分の取消請求を棄却した。
   経済産業省において、本件処遇を実施し、それを維持していくことは、上告人を含む全職員にとっての適切な職場環境を構築する責任を果たすための対応であったというべきであるから、本件判定部分は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとはいえず、違法であるということはできない。


【争点】

   国家公務員法86条の規定による行政措置の要求に対する人事院の本件判定部分が、人事院に委ねられた裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものと認められるか否か
   以下、裁判所の判断の概要を示す。


【裁判所の判断】

  原審の判断は是認することができない。その理由は、以下のとおりである。

(1)判断枠組み
   国家公務員法86条の規定による行政措置の要求に対する人事院の判定においては、広範にわたる職員の勤務条件について、一般国民及び関係者の公平並びに職員の能率の発揮及び増進という見地から、人事行政や職員の勤務等の実情に即した専門的な判断が求められるのであり(同胞71条、87条)、その判断は人事院の裁量に委ねられているものと解される。
   したがって、上記判定は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したと認められる場合違法となると解するのが相当である。

(2)検討
 ア 本件処遇は、経済産業省において、本件庁舎内のトイレの使用に関し、上告人を含む職員の服務環境の適正を確保する見地からの調整を図ろうとしたものであるということができる。
 イ そして、上告人は、性同一性障害である旨の医師の診断を受けているところ、本件処遇の下において、自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、本件執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり、日常的に相応の不利益を受けているということができる。
   一方、上告人は、健康上の理由から性別適合手術を受けていないものの、女性ホルモンの投与や○○を受けるなどしているほか、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けている。現に、上告人が本件説明会の後、女性の服装等で勤務し、本件執務階から2階以上離れた階の女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない。
   また、本件説明会においては、上告人が本件執務階の女性トイレを使用することについて、担当職員から数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない。
   さらに、本件説明会から本件判定に至るまでの約4年10か月の間に、上告人による本件庁舎内の女性トイレの使用につき、特段の配慮をすべき他の職員が存在するか否かについての調査が改めて行われ、本件処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない。
 ウ 以上によれば、遅くとも本件判定時においては、
  ・上告人が本件庁舎内の女性トイレを自由に使用することについて、トラブルが生じることは想定し難く、
  ・特段の配慮をすべき他の職員の存在が確認されてもいなかった
のであり、上告人に対し、本件処遇による上記のような不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったというべきである。
   そうすると、本件判定部分に係る人事院の判断は、本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を角に重視し、上告人の不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びに上告人を含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。
 エ したがって、本件判定部分は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるというべきである。

(3)結論
   原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。
   そして、原判決中、本件判定部分の取消請求に関する部分は理由があり、これを認容した第1審判決は正当であるから、上記部分につき被上告人の控訴を棄却すべきである(一部破棄自判)。


【コメント】

  本裁判例は、性同一性障害である上告人が、国家公務員法86条の規定に基づいて、人事院に対し、同人の勤務する部署の執務室のある階(本件執務階)とその上下の階の女性トイレの使用を認めず、それ以外の階の女性トイレの使用を認める旨の処遇(本件処遇)の見直しを要求したところ、これを認めなかった人事院の判定(本件判定部分)は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となる旨判示した事例です。結論的には、一審判決の判断を是認しています。
   なお、本裁判例は、あくまで当該事案における事例的な判断がなされたものに留まり、一般的に、性同一性障害に対し、女性トイレの使用を求める権利自由を認めたものではない点に、留意が必要です。
   この点、裁判官渡邉惠理子の補足意見では、「トイレの利用に関する利益考量・利害調整については、(中略)例えば、職場のトイレであっても外部の者による利用も考えられる場合には不審者の排除などのトイレの安全な利用等も考慮する必要が生じるといった施設の状況等に応じて変わり得るものである。したがって、取扱いを一律に決定することは困難であり、個々の事例に応じて判断していくことが必要になることは間違いない。」と述べられています(裁判官林道晴も、この補足意見に同調しています。)。

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