単に労働時間が長時間に及んでいることのみで、労働者のうつ病発症を予見できたとはいえないとして、使用者の安全配慮義務違反を否認した事例(上告・上告受理申立中)
【事案の概要】
(1)一審被告会社は、企業経営に関するコンサルティング等を目的とする会社である。 一審被告Aは、一審被告会社の取締役であり、平成9年6月1日以降、一審原告の直属の上司であった。
一審原告は、平成7年8月頃に一審被告会社にアルバイトとして調査研究部に採用され、平成8年4月1日に同部所属の正社員となり、平成16年7月1日にその主任研究員となった。一審原告は、アルバイトとして採用されて以降、主に環境及び廃棄物処理・リサイクル分野の調査研究業務を行ってきた。
(2)一審原告が平成17年度(平成17年4月1日~平成18年3月31日)に担当した調査研究業務は、北海道B支庁発注の廃プラスティック類に係る資源循環情報詳細調査業務(以下「本件調査業務」という。)外3件である。 一審原告は、本件調査業務を主に1人で行った。本件調査業務の契約期間は、平成17年8月15日~平成18年1月12日(納期日)であった。
(3)一審原告は、平成17年7月~平成18年1月、次のとおり、労働基準法所定の労働時間を超えて業務を行った(以下、次の時間を単に「時間外労働」という。)。
平成17年 7月 34.4時間
平成17年 8月 44.8時間
平成17年 9月 不明
平成17年10月 127.4時間
平成17年11月 89.0時間
平成17年12月 151.5時間
平成18年 1月 73.1時間
(4)一審原告は、平成18年1月20日、うつ病を発症し、平成18年2月21日頃~同年10月31日、休職した。 一審原告は、平成18年11月1日、週3日勤務の条件で復職し、遅くとも平成21年7月以降、週5日勤務となった。 一審原告は、平成26年5月7日~同年11月7日、休職辞令を受けて休職した。
(5)一審原告は、平成25年7月9日、札幌中央労働基準監督署長に対し、労働災害認定の申請を行ったところ、平成26年1月31日、原告の疾病が業務に起因するとして、労働災害の認定がされた。
(6)一審原告は、次のア・イのとおりの主張をし、一審被告らに対し、損害賠償請求訴訟を提起した。
ア 一審被告会社は、一審原告の過重労働を認識していたにもかかわらず、一審原告の担当業務を減らす等の措置をとらなかった。これは、一審原告に対する安全配慮義務違反(労働契約上の債務不履行)に当たる。一審原告は、これによって、うつ病を発症し、賃金の減額等の損害を被った。
イ 一審原告は、一審被告による労務管理の不備により、うつ病を発症し、その後、一審被告Aの行為によって、症状が悪化するなどした。一審被告会社及び一審被告Aの行為は、一審原告に対する不法行為に当たり、これによって一審原告は損害を被った。
(7)原審(札幌地裁平成31年3月25日判決・労働判例1222号60頁)は、上記(6)アについて、「労災認定は、労災認定基準に照らし詳細に事実を認定し、その結果、原告の病状が業務に起因したと判断しているといえるから、その信用性が十分に認められる」等と判示した上で、一審原告の請求を一部認容した(注:認容額は、上記(6)アについて、3472万7903円及びその遅延損害金、同イについて33万円及びその遅延損害金である。)。
一審原告及び一審被告らは、いずれも原判決を不服として本件各控訴を提起した。
【争点】
(1)一審被告会社に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求について(争点1)
ア 一審原告がうつ病を発症したことについて、一審被告会社の安全配慮義務違反の成否
イ 一審被告会社の安全配慮義務違反と一審原告のうつ病発症との間の因果関係の有無
ウ 損害の発生及び額
(2)一審被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求について(争点2)
ア 一審被告らの不法行為の成否
イ 損害の発生及び額
ウ 過失相殺の成否
以下、上記の争点のうち争点1についての裁判所の判断を示す(注:争点2については、裁判所は、一審原告が主張する一審被告らの不法行為はいずれも認められないと判示した。)。
【裁判所の判断】
(1)使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないように注意する労働契約上の付随義務として、安全配慮義務を負うと解される。
うつ病の発症について、発症前、おおむね6か月間の出来事の影響が強く、それ以前の出来事の影響は一般に薄いと考えられる。 一審原告は、平成18年1月にうつ病を発症する約3か月前頃以降、相当の長時間労働に及んでおり、一審被告会社もそのことを把握していたことが認められる。 他方、上記業務負担以外に一審原告がうつ病を発症する原因となった出来事は、明らかになっていない。 そこで、一審被告会社が上記業務負担について、安全配慮義務に違反したといえるかを以下、検討する。
(2)一審被告会社は、発症前3か月間における一審原告の業務負担について、格別、軽減の措置を執っていない。これは、安全配慮義務違反を基礎付ける事情に当たるといえる。
他方、次のような事情を指摘することができる。
ア 一審被告会社の調査研究部における業務は、発注先との打合せ、調整、調査実施、報告書作成というプロセスを踏んで進められることから、個別性が強く、研究員には自らの担当業務について、裁量性があることがうかがわれる。人事評価に当たっては、納期の履行の有無、同僚との円滑な連携、発注者からの評判などが重視されていることから、上記の点がうかがえる。
イ 一審原告は、平成7年8月、アルバイトとして一審被告会社の調査研究部に採用され、平成16年7月1日、調査研究部の主任研究員に昇進したことから、調査研究部における業務について、適性があると判断されており、一審原告においても、そのように受け止められていたと認められる。
ウ 一審原告は、平成17年8月以降、主に本件調査業務を担当していた。これは、一審原告の専門分野に属する業務であり、従前から担当している調査研究業務と同種の内容の業務でもあって、一審原告にとって新規性がなく、特にその遂行が困難であるなど難易度が高いものであることをうかがわせる事情は認められない。
エ 一審原告の労働時間が発症前3か月間において長期化した主な原因は、データの集計等に時間を要したというものであった。一審原告は、全体会議等、それによって業務の遂行が困難となっていることを上司や同僚に伝え、相談する機会があったものの、上記の点を伝えておらず、業務の進め方等について相談することもなかった。そして、一審原告が従事していた業務の内容は、調査研究部の他の主任研究員と比較して、その質又は量が特に過大であるということもなかった。
なお、一審原告は、平成17年11月、パート事務員に調査票の封入作業を依頼し、一審被告Aから、上記作業を外注するように指示され、外注すると時間がかかるとして自ら上記作業を行った。また、一審原告は、同年12月上旬、アンケート調査の回収票の開票とチェックをパート事務員に依頼し、一審被告Aから外注するよう指示され、上記作業を外注した。これらの経緯は、業務量の多い仕事について、外注するようにとの研究員一般に対する指導に基づいており、安全配慮義務違反を基礎付ける事情に当たるとは評価できない。
オ 一審原告は、一審被告Aを含めて上司や同僚に本件調査業務に関して相談したこともなかった。
以上の各事情によれば、一審被告会社が発症前3か月間における一審原告の労働時間が長時間に及んでいることを把握しつつ、その業務負担について、格別、軽減の措置を執っていない一方、 この間における一審原告の担当業務は、主として一審原告の専門分野に属する本件調査業務であり、データの集計等に時間を要したという長期化要因について、相談の機会はあったものの、これを利用することはなかった等の事情を指摘することができる。 一審被告会社としては、一審原告の業務がうつ病の発症をもたらしうる危険性を有する特に過重なものと認識することは困難であり、単に労働時間が長時間に及んでいることのみをもって、一審原告のうつ病発症を予見できたとはいえないというべきである。そして、本件において、他に一審原告のうつ病発症の予見可能性を基礎付ける事実は認められない。
(3)また、一審原告は、平成17年度当初、複数の踏査研究業務を担当していたが、最終的には主な担当業務が本件調査業務のみとなっており、ここから更に一審原告の担当業務を減らすのは困難であったというべきである。 そして、一審被告会社では、毎週、意見交換のための全体会議が開催されており、一審原告は、その機会に、業務遂行上の課題を伝え、上司や同僚に相談することができ、これが困難であったとは認められないのに、相談等をしなかった。 そうすると、一審被告会社は、一審原告の業務を更に削減することが困難であった上、特に一審原告から業務の遂行が困難であることの申告もなかったことから、早期に心身の健康相談やカウンセリングを受診する機会を設けたり、休養を指示したりすることを含め、一審原告のうつ病の発症を回避するために具体的な対応をすることも困難であったというべきである。
(4)以上のとおり、一審被告会社が一審原告の時間外労働が長時間に及んでいることを把握していたとしても、一審原告の担当していた業務の内容等の事情を考慮すれば、一審原告がうつ病を発症することを予見できたとは認められず、また、一審原告のうつ病の発症を回避するために具体的な対応をとることも困難であったというべきである。一審原告がうつ病を発症したことについて、一審被告会社に安全配慮義務違反は認められない。
したがって、一審原告の一審被告会社に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求は、その他について判断するまでもなく理由がない。
(5)結論 一審原告の請求は理由がない(請求棄却)。