ゆうちょ銀行(パワハラ自殺)事件(控訴中)
【事案の概要】
(1)被告の従業員であった甲野一郎(以下「一郎」という。)は、大学卒業後の平成9年4月、当時の郵政省に採用され、平成19年10月の郵政民営化を経て、平成23年4月1日付で被告の従業員となり、A地域センター(以下「Aセンター」という。)お客さまサービス課で勤務していた。そして、一郎は、平成25年7月1日付けでC貯金事務センター(以下「Cセンター」という。)総務課に異動となり、同年8月1日以降、Cセンターの貯金申込課(以下、単に「貯金申込課」という。)主任となり、運行担当の業務に従事していたが、平成27年6月〇日、実家の居室で自殺した(死亡時43歳)。
原告は、一郎の母であり、一郎の唯一の相続人である。
(2) 貯金申込課の課長は、一郎の配属後から平成27年3月までDであり、同年4月以降一郎死亡時まではEであった。
また、貯金申込課の運行担当には、係長、主査2名、主任2名、期間雇用社員数名が所属していた。そして、一郎の配属時から平成27年6月〇日までの係長は、Fであり、主査は、G及びHであった。
なお、被告には、社内外にハラスメントに関する相談窓口や内部通報窓口が設置されており、事務所内にその連絡先等が掲示され、社員が相談・報告できることになっていた。
(3)一郎は、平成25年8月から貯金申込課において勤務を始めたが、当初、記名国債の振替預入請求業務・廃止業務のほか、郵便局からの電話対応等の業務を行っていた。しかし、一郎は、請求業務において、振替預入請求書に記名国債の記名者の住所や氏名が記載されていることの確認が漏れていたり、振替預入請求書に押印されている印影が印鑑票の印鑑欄に押印されている印影と符合することの確認が漏れていたりするなど形式的事項についてミスをすることが多かった。
G及びHは、主査として、一郎の処理した書類の審査をする業務を担当しており、一郎の処理した書類にミスがあると、社内ルールに従い、一郎に書類作成のやり直しを指示していた。その際、G及びHは、強い口調で一郎に対し、叱責していた。
また、一郎は、業務処理のスピードが遅かったため、終業間近に残業を申し出ることが多く、DやFにおいて、残業するまでの仕事量ではないとして、GやHを含めた他の社員に仕事を割り振って、一郎の残業を認めないこともあった。
一郎は頻繁にミスを発生させていたため、「ありがとうシート」(注:運行担当課において、他の従業員からの指摘で組織全体としての過誤の発生を防止できた場合であっても、事務処理上のミスを発生させた従業員が作成する、ミスの内容やその原因、改善点等を記載した報告書のこと。)を作成して、翌日の朝のミーティングで報告する割合も他の社員よりも多かった。
(4)平成25年12月頃、一郎は、Dに、担当する仕事量が多いなどと訴え、平成26年1月か2月頃には、Fにも、郵便局からの電話対応業務と並行して仕事を行うことが難しく、運行担当の仕事が向いていないので、元のAセンターへ異動させて欲しいと訴えた。しかし、Fは、当時の副所長と相談の上で、直ちに異動はさせられないことを一郎に伝えるとともに、当面の間、一郎の業務負担を軽減することとした。
一郎は、平成26年6月にCセンターから異動することができず、また担当を変わることもできなかったため落胆し、「早く脱出したい」「こんな所消えてなくなれ」「明日はHさんの機嫌がいいことを祈ります」などと記載したメールを同僚の従業員に送るようになった。また、実家に帰省した際には、原告や妹の甲野B子(以下「B子」という。)に、運行担当の職場が「ひどいところ」であり、その「職場のひどい上司」がGやHであると言っていた。
しかし、同年10月1日に、一郎が被告に提出した従業員申告書には、Aセンターへ異動希望が記載されていたが、その理由は、Aセンターが自分の出身地域センターであることなどというものであった。また、一郎は、被告のハラスメントの相談窓口に、GやHからパワハラの被害を受けていることを訴えることはなく、外部通報等も行わなかった。
(5)平成26年7月頃に、同じ運行担当の主任であったJが異動し、新たにLが主任となった。その後、業務に慣れていないLに代わり、一郎が電話をとる回数が増え、これに伴い、一郎の書類上のミスも増えるようになった。このため、一郎は、GやHからミスを指摘される回数が以前よりもさらに増え、日常的に、GやHから強い口調で叱責されるようになった。
同年12月から、年金・恩給に関する業務が運行担当の業務となり、一郎もこれらの業務を行うようになった。この頃から一郎は、同僚社員等に運行担当の部署から離れるために仕事を辞めたいと言い出すようになった。
平成27年3月頃から、一郎は、IやB子に対し、しばしば死にたいと訴えるようになった。そのため、Iは、F、G及びHに対して、「甲野さんが死にたいと言ってるんですけど。」と知らせたが、F、G及びHは、真剣には受け止めず、Iの訴えを聞き流した。
(6)平成27年4月の移動がなかった一郎は、同僚従業員に、同年7月の異動に期待していると言いながら、他方で、「もう夢も希望もありません 疲れました」などというメールを送ったりもしていた。
同年6月19日、実家に帰省した一郎は、同月20日、B子に対し、7月の異動もなく、一生職場から出られないと嘆き、同月〇日に、自殺した。
なお、一郎の体重は、Cセンターに異動した平成25年7月頃は約70㎏あったが、平成27年6月21日の時点では、約55㎏にまで減少しており、Fは、一郎について疲れているという印象を受けており、一郎の体調不良が気に掛かっていた。
【争点】
(1)被告の使用者責任の有無
(2)被告の債務不履行責任の有無
(3)一郎の損害
以下、裁判所の判断の概要を示す。
【裁判所の判断】
(1)被告の使用者責任の有無
原告は、G及びHによる一郎に対する対応は、上司の部下に対する業務上の指導等とは無縁の誹謗中傷やいびり倒しという違法なものであり、G及びHには一郎に対する不法行為責任があり、F及びEはこれを防止しなかったのであるから、一郎の死亡について使用者責任があると主張する。
確かに、G及びHは、日常的に一郎に対し強い口調の叱責を繰り返し、その際、一郎のことを「こうっ」と呼び捨てにするなどもしており、部下に対する指導としての相当性には疑問があるといわざるをえない。
しかし、部下の書類作成のミスを指摘しその改善を求めることは、被告における社内ルールであり、主査としての上記両名の義務であるうえ、一郎に対する叱責が日常的に継続したのは、一郎が頻繁に書類作成上のミスを発生させたことによるものであって、証拠上、GやHが何ら理由なく一郎を叱責していたという事情は認められない。そして、GやHの一郎に対する一連の叱責が、業務上の指導の範囲を逸脱し、社会通念上違法なものであったことまでは認められない。
したがって、被告の使用者責任を求める原告の請求は、その前提を欠き理由がない。
(2)被告の債務不履行責任の有無
ア 雇用者には、労働契約上の付随義務として、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ、労働することができるよう必要な配慮をする義務があるから(労働契約法5条参照)、雇用者である被告は、従業員である一郎の業務を管理するに際し、業務遂行に伴う疲労や心理的負担が過度に蓄積してその心身の健康を損なうことのないように注意する義務があるところ、雇用者の補助者として一郎に対し業務上の指揮監督を行うFやDには、上記の雇用者の注意義務に従いその権限を行使する義務があるものと解される。
イ 前記認定のとおり、一郎は、G及びHから日常的に厳しい叱責を受け続けるとともに、他の社員よりも多くの「ありがとうシート」を作成していたが、G,H及び一郎の近くの席で仕事をしていたD及びFは、上記のような一郎の状況を十分に認識していた。そして、一郎は、Cセンターに赴任後わずか数か月で、Aセンターへの異動を希望し、その後も継続的に異動を希望し続けていたが、Cに赴任後の2年間で体重が約15㎏も減少するなどFが気に掛けるほど一郎が体調不良の状態であることは明らかであったうえ、平成27年27年3月には、FはIから一郎が死にたがっているなどと知らされてもいた。
そうすると、少なくともFにおいては、一郎の体調不良や自殺願望の原因がGやHとの人間関係に起因するものであることを容易に想定できたものといえる。それゆえ、一郎の上司であるDやFとしては、上記のような一郎の執務状態を改善し、一郎の心身に過度の負担が生じないように、同人の異動を含めその対応を検討すべきであったといえる。ところが、DやFは、一時期、一郎の担当業務を軽減したのみで、その他にはなんらの対応もしなかったのであるから、被告には、一郎に対する安全配慮義務違反があったというべきである。
ウ これに対し、被告は、一郎やIら他の従業員から、G及びHによるパワハラの事実の訴えはなかったと主張する。
確かに、一郎やIら他の従業員から、運行担当においてG及びHによるパワハラがある旨の外部通報がなされたり、内部通報がなされたことはない。しかし、前記イで説示したとおり、一郎が、GやHとの人間関係に関して、何らかのトラブルを抱えていることは、被告においても容易にわかりうるから、外部通報や内部告発がなされていないからといって、一郎について何ら配慮が不要であったということはできず、被告の上記主張は採用できない。
(3)一郎の損害
前記の認定判断のとおり、被告の安全配慮義務違反によって、一郎は自殺しているところ、一郎の上司であるFは一郎に自殺願望のあることを知らされていたのであるから、被告において一郎の死亡を予期しえたものといえる。したがって、被告の債務不履行により、一郎は、以下の合計6142万5774円の損害を被ったものと認められる。
ア 逸失利益 3582万5774円
計算式:519万2668円(一郎の平成26年度の収入)×0.5(単身者の生活費控除率)×13.7968(死亡当時43歳の一郎の就労可能年数24年に対応するライプニッツ係数)
イ 慰謝料 200万円
ウ 弁護士費用 560万円
(4)結論
以上の次第で、原告の請求は、債務不履行に基づき6142万5774円及びこれに対する訴状送達の日(これより前の催告に関する主張立証はない。)の翌日からの遅延損害金の支払を求める限度で理由がある(注:請求額は8189万2175円)。